9月11日、サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会アジア最終予選、日本対イラク戦が埼玉スタジアムで行われ、1-0で日本が接戦をものにした。

 今回の勝利で、本大会出場へと大きく前進したと言えそうだが、まだまだ安心はできない。中東でのアウェーゲームが残っているし、「ドーハの悲劇」の教訓を忘れるわけにいかないからだ。

19年前に起きた「ドーハの悲劇」は視聴率48.1%

イラク代表ジーコ監督、日本戦で番狂わせ狙う

日本を知り尽くし日本を苦しめたイラク代表のジーコ監督〔AFPBB News

 1993年10月28日、アジア最終予選最終戦となった同じ対イラク戦のロスタイム、あと少しで代表決定というまさにその時、同点に追いつかれてしまったあの悪夢の試合である。

 当時、深夜であるにもかかわらず、地上波テレビ中継の視聴率は48.1%という驚異の数字を記録しており、多くの日本人が共有している記憶でもある。

 結局、この時はサウジアラビアと韓国にアジア代表は決まったわけだが、試合前までイラクにも可能性はあった。そしてその試合結果次第では、サダム・フセインの長男ウダイが、選手たちに懲罰を加えることを考えていたという。

 とは言っても、日本に対して特別な負の感情があったわけではなく、選手に拷問を加えることなど日常茶飯事の人物だったのである。

 そんなウダイの影武者を1987年から4年間にわたり務めていたというラティフ・ヤヒアの自伝の映画化『デビルズ・ダブル ―ある影武者の物語―』(2011)が今年初め日本でも劇場公開された。

 父親サダムでさえ嫌ったというウダイの卑劣極まる行状が描かれている作品だが、実像はそれ以上に残虐で、映画では描写を控え目にしたという。

 そのウダイの影武者ヤヒアは、映画のプロモーションのため2011年末、日本を訪れようとした際、入国を拒否された。

 危険人物の影武者という過去があったからではない。単に必要書類に不備があったからだという。しかし、そんな書類が必要となったのも、フセイン政権下のイラクから逃亡後、欧州諸国を転々とし、無国籍だったからである。