週刊NY生活 2012年8月11日407号
広島への原爆投下から67年を迎えた8月5日(日本時間6日)夕、広島・長崎原爆追悼祈念式典が市内112丁目にあるセント・ジョン・デバイン大聖堂で行われた。
インターフェイス・センター・オブ・ニューヨークのバイスプレジデントの中垣顕實師(浄土真宗)がディレクターとなり、さまざまな宗教および平和団体の協力で行われた。今回は大聖堂で開催された東日本大震災を写真や短歌、肖像画などで伝える「ボイセズ・フロム・ジャパン」との共催となった。また長崎県の協力で原爆写真展も同時に行われた。
神道、仏教、キリスト教による追悼礼拝が行われ、被爆地からは、松井一實広島市長からのメッセージを広島県人会の古本武司名誉会長が、田上富久長崎市長からのメッセージをばってん会の山口猛会長が代読した。
式典では広島・長崎とともに、東日本大震災と福島第一原発事故への思いも数多く語られた。
東日本大震災の被災者が詠んだ短歌が日英両語で紹介され、「ただじっと息をひそめている窓に黒い雨ふるふるさと悲し」(福島県、美原凍子)など福島第一原発事故を扱ったものも紹介された。
ノーモア広島
広島で被爆したウエスト森本富子さん(80、ニューヨーク州在住)が被爆体験を語り、「13歳の時、原爆で家族全員を失いました。その後、米国に来て、今年無事80歳を迎えることができましたが、核のない世界を訴えるのは私の責務だと思います」と訴えた。
森本さんは家が爆心地に近く、母親と祖父母を一度に亡くした(父親はすでに他界していた)。森本さん自身はその日、勤労動員で工場に出かけていたため、被爆はしたものの命は助かった。
広島に原爆が投下された午後7時15分(日本時間午前8時15分)に森本さんが平和の鐘を鳴らし、参加者全員で原爆犠牲者を追悼するとともに核のない平和な世界を祈った。
続いて古本武司広島県人会名誉会長、山口ばってん会会長、ボイセズ・フロム・ジャパンを企画した文化交流工房の辻本勇夫代表、竹田勝男NY日系人会副会長、日本人特別牧会のテリノ尊子ディレクター(牧師)、日本から駆けつけた広島出身のシンガー・ソングライターの原田真二さん、インターナショナル・シントウ・ファンデーション・NYセンターの中西正史ディレクター、東日本大震災の被災地を訪れ1000人のポートレートを描いた画家の中川直人さんらが次々に鐘を鳴らし「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒバク」などを声に出して訴えた。
渡辺薫さんによる笛や太鼓の演奏のほか、原田真二さんが「ヒロシマ、ザ・プレース・トゥ・スタート」など数曲を披露、「ヤマト‐グローバル・ハーモニー」などではNY男声合唱団と共演、最後は全員で「イマジン」を歌った。
(武末幸繁)
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