「復活させたいもの ベスト3」のラストを飾るのは、自治寮である。

 第1回の「NHK-BS 囲碁・将棋対局中継の午前篇」、第2回の「本の検印」とは趣を異にするのだが、しばしお付き合い願いたい。

 私の経歴には「北大法学部卒」と記載されている。しかし、当人の気持ちとしては、「北大恵迪(けいてき)寮卒」だと思っている。ろくに講義に出ていないせいもあるのだが、法学部と恵迪寮とでは与えられた影響の大きさが質・量とも比較にならない。

 恵迪寮における私の経験は、拙著『静かな夜』(左右社)に収録の「二月」「八月」に描かれているので、興味のある方はお読みいただきたい。

 現在、私が何者かであるとするならば、それは一重に恵迪寮のおかげである。札幌農学校の寄宿舎に由来する自治寮における同年代の若者たちとの組んずほぐれつの付き合いが、私の人としての基礎をつくった。一から、というと両親に申し訳ないので三にしておくが、恵迪寮において私はまさに三から鍛え直されたと思っている。

 ワンフロアー10人での共同生活は、慣れるのに2~3カ月かかった。何事によらず他人から影響されすぎず、自分なりのペースで生きてゆくという“独立自尊の精神”は、他人との密着なくしては生まれないということを、私は身をもって体得したと思っている。

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 独りよがりの前口上はこの辺で止めておくとして、自治寮を復活させたいといっても、私は恵迪寮にも受け継がれていた旧制高校風のバンカラな気風を懐かしんでいるのではない。

 独立行政法人化して以降の国公立大学は急速に存立の理由を失いつつある。しかも自らユニバーシティーとしての統一性を放棄することによって瓦解への道をひた走っており、その流れは止められないだろう。

 東日本大震災以降、いわゆるエリートと呼ばれる人々に対する国民の不信感は強まる一方だが、ではどうすれば国政や国内産業の中枢を担うに足るだけの知力と度量と見識を兼ね備えた人物を輩出できるのかについては、誰も答えを示せていない。

 現在、野田政権による原発の再稼働に反対する抗議行動が大きな広がりを見せている。私も今回の拙速な再稼働の決定には憤りを感じており、国民が自らの意思をデモとして表明するのは当然だと思っている。

 その一方で、新聞やテレビの反応の鈍さは、マスコミというものがいかに政財官界に取り込まれた存在に成り下がっているのかを如実に示した。新聞記者は、独自の見識を有するジャーナリストではなく、それぞれの新聞社に所属するサラリーマンでしかなかったわけだ。