冒頭から個人的な話で恐縮だが、筆者は米国に四半世紀ほど暮らしていた。帰国後、酒席などで「米国人っていうのは本当にアホだと思うんですよ」といった発言を聞くことがたまにある。
アホの定義は曖昧なことが多いが、よく話をすると米国人は物事の考え方や表現の仕方が日本人よりもストレートだということに落ち着く場合がある。
世界中どの国に行っても善良な人もいれば悪人もいる。ただ人間の本質を論じると、日本人も米国人も変わらないというのが筆者の持論である。
米国の強さは「変われること」
ただ「米国らしさ」というものを訊かれた時に、「変わる強さ」ということを口にしている。
日本に比べると歴史の浅い国なので、変化にそれほど抵抗がないとも言えるが、モノを変えていこうとする意識が強い国である。いま機能しているモノでさえも一度壊して新しいモノを作ろうとさえする。
それがうまく機能しなければ再度新しく作り直すことも厭わない。極論すると、新しいモノにこそ価値があるという心性を携えているようでさえある。IT業界だけでなく、政財界でもその兆候は見られる。
随分前になるが、ビル・クリントン政権2期目にホワイトハウスの広報官が筆者の自宅に電話をしてきたことがあった。
当時はホワイトハウスの記者室に出入りして取材活動を行っていたが、こちらから先方に取材依頼をしたり電話をすることはあっても、ホワイトハウスの方から電話をかけてくることはなかった。何か嫌な予感がした。どうしたのか恐る恐る訊くと、広報官が言った。
「これから私があなたのような外国人ジャーナリストの担当になりました。御用がある時には連絡をしてきてください。お世話いたします」
思わず耳を疑った。米政府からすれば、筆者などはどこの馬の骨か分からないフリーのジャーナリストである。それでもわざわざ連絡をくれ、先方から積極的に情報提供をしてくれるという。最初は冗談かと思ったが、広報官の電話での話しぶりは誠実だった。