世の中で「高学歴」とされる学生たちを見ていて思うことがあります。「正解のない問題」にぶち当たったとき、必ずしも答えを出すのが得意でない、という人を見かけるのです。

ある東大生のケース

 東大教養学部で全学必修の授業を受け持っていた頃の話です。僕は頻繁に学生アンケートの類を取るのですが、その中で

 「伊東教官は大変に怠惰な授業をする」という意見がありました。

 僕が講義の準備などに一定以上時間や手間をかけるのは周知のことで、その授業もティーチングアシスタントたちと進めていたのですが、あまりに重症な病の回答でスタッフ一同「へぇ」と感心するやらあきれるやら。どんな回答かというと

 「そもそも、授業というのは、教師が黒板に一つひとつ、問題と模範解答を板書するのが正しいのである・・・」

 あたりに始まって、この子が経験してきた、主としてペーパーテストで○がつく受験勉強の1つのタイプを絶対化する趣旨のものでした。

 「ところが東大というのはどの教師も腐っている。ちっとも板書をしない。そもそも問題などというものは、見たことがないものが解けるわけはないに、解けない問題、解き方のパターンを教えない問題ばかりを出してくる。こんな問題を出すのは時間の無駄だ」

 はぁ、前人未踏の問題は誰にも解けないということですか・・・この時点でこの子は東大に、いや、そもそも大学というものに入ってきたのが間違いだったのではないか、と案じてしまいました。

 「教師が黒板にきれいに板書して、回答パターンを教え、それをいく度も練習するから試験問題が解けるのである。それが伊東教官はパワーポイントなど使って板書をしない。これは手抜き以外のなにものでもない。早口でしゃべるのでノートも取れない。そのうえ見たこともない問題を毎週宿題に出す。こんなダメ教官に必修で当たって大変不幸だ・・・」

 というような内容でした。