ニッケイ新聞 2012年3月22日、24日
私達が住む「ブラジル」が現在のような多文化が入りまじった形になったのは、どのような経緯からか。移民はその文化形成にどんな役割を果たしているのか。そして、ブラジル文化は世界にどのような影響を与えているのか。
座談会はこれらをテーマにして、ブラジル文化に詳しい岸和田仁(ひとし)さん、ポルトガルに駐在歴のある小林雅彦さん、モザンビークに3年いた中山雄亮さんの3人に参加してもらい、深沢正雪編集長が司会をして1月31日にニッケイ新聞社内で行なわれた。
ポルトガルのポ語との違いについての興味深い指摘から、イタリア移民が及ぼした食やノベーラへの影響、さらにアフリカのポルトガル語圏諸国の文化についてまで縦横無尽に話題は展開した。ここでは各人の役職とはいっさい関係なく、個人的な意見や体験、思いをざっくばらんに語ってもらった。(編集部)
第3回 北東伯から南に拓けていった歴史
実はリスボンにそっくりなサルバドール?!
小林 リスボンに住んでる時に気付いたことがあります。よく対岸にいったんですよ、安い船があってね。それで、帰ってくる時に、リスボンの町の風景がこう正面に見えるわけですよ。それを見たときに、サルバドールの町にそっくりだなって思ったんですよ。
全員 ほう~。
小林 あれはやっぱり、最初の首都サルバドールに、リスボンと同じような町並みを作ったんじゃないかと思いました。
深沢 じゃあ北東部の方ほど、大航海時代のポルトガルの影響が色濃く残っている訳ですね。でも、1822年の独立以降は何かその、ポルトガルに由来する名前が段々消えてったというのはあるんでしょうか。
岸和田 それはあるかもしれない。
深沢 サルバドールまではポルトガルに由来する都市名は多いけど、独立したときに首都があったリオ以南の地域や、その時代以降に大きくなっていった町では目立たなくなったとか。
だからサンパウロ、リオ以南の南西部ではあまりポルトガルに由来する名前は多くないんでしょうか。きっと、そうやってノルデスチとサンパウロの違いが歴史的に生れてくるんでしょうね。
岸和田 それはあったと思うんですよ。やはりサルバドールは当時、サトウキビ産業の全盛期ですからね。その当時のサンパウロはただの未開地だった。森ばかりでわずかな街路があっただけ。
深沢 ああ~、かわいそうなサンパウロ(笑)。当時のサンパウロは「化外の地(編注=王の力の及ばない僻地)」ですよね。