日本の柔道が日米同盟に貢献している──。
こんな記述はいかにも奇異に響くだろう。そもそも柔道という武道、あるいはスポーツが政治的な目的に資するということがあってはならない、とする考え方もある。
だが、最近の米国海軍士官学校での日本の柔道選手たちの指導ぶりを見ると、ついそんな感想も湧いてくるのだ。
首都ワシントンから車で1時間たらずのメリーランド州アナポリスには米海軍士官学校が堂々とそびえる。この学校は4年制一般大学に匹敵し、卒業生は大多数が海軍の少尉や海兵隊の少尉へと任官する。
現在の学生数は4600人、入学は極めて難関だとされる。卒業生は軍務に就いた後に、民間に転じ、ビジネスマンや政治家となる人たちも多い。
歴代大統領の中にさえ、この海軍士官学校卒業生がいる。上院議員や下院議員、さらには閣僚にもアナポリス出身は多数いる。例えば、前回2008年の大統領選挙で共和党候補となったジョン・マケイン上院議員は親子2代にわたる海軍士官学校卒業生である。
ルーズベルト大統領が目の当たりにした柔道の強さ
この海軍士官学校の日本の柔道への関わりは歴史が古い。日露戦争直後の1905(明治38)年、講道館の山下義韶(やました・よしつぐ)師範がこの士官学校の柔道教師となった。時のセオドア・ルーズベルト大統領に推薦されてのことだった。山下師範は士官学校の米国人学生たちに2年間も柔道を教えた。
その契機は前年の1904年、山下氏がルーズベルト大統領に招かれ、ホワイトハウスで大統領一家に柔道を教え始めたことだった。だから日米の柔道交流は、米側ではホワイトハウスや大統領という最高次元での受け手を得て、今から108年も前に始まったこととなる。
ちなみに今年は首都ワシントンに日本からの桜の木が贈られてちょうど100年となる。3月下旬からの恒例の桜祭りは、1世紀の日米友好を記念して多彩な行事が展開されたが、同じ日米友好でも、柔道の交流が桜以前に公式に始まっていた歴史はあまり知られていない。
セオドア・ルーズベルト大統領は山下師範の実力を目の当たりに目撃し、感嘆した。身長162センチの山下氏は190センチの巨漢の米人レスラーと試合をして、見事に投げ、腕の関節技まで極(き)めて、快勝したのだった。その結果、同大統領が山下師範を海軍士官学校へ柔道指導者として送りこんだのである。