「世界の工場」・・・もはや新興国というより先進国化しつつある中国に対して、この名が冠されて久しい。モノづくりの観点において、約半世紀、日本が堅持した地位を譲り渡したとも言える。
いや、中国だけでなく、日本が生産拠点として進出したASEAN(東南アジア諸国連合)の国々の経済的発展に伴い、日本企業の指導的役割が終焉しつつあるのかもしれない。
好循環の改善活動を手にした新興国
「安かろう悪かろう」という粗製乱造にならないための自律的努力こそが改善の本質だが、本連載でこれまでにも述べた通り、この意志を現場の良識だけに頼る時代は終わった。
一方、経済成長に後ろを支えられている新興国の現場社員にとっては、前向きな改善活動に身が入る環境が整っている。
職場で改善すれば、製品品質が上がる。不良コストを削減して企業収益が上がれば、実入りも良くなる。お金が入れば、経済的環境の向上を実感できる、という好循環だ。だから改善を楽しめる余裕がある。
かつての日本の高度成長と同じ構図だが、当時との大きな違いはITによる情報伝達のスピードの速さである。電子化されたマニュアルや情報伝達手段は、各種ツールやノウハウの学習時間を短縮した。
さらに高収入で迎えられた日本企業の団塊ベテラン指導者たちは、惜しみなく持てる知識を現地社員に伝授した。若手不足で国内に知識継承先を失った彼らにとって、それはまさに新開地としてやりがいを感じるフィールドだったのだろう。
米国の産業界に失望して日本に降り立ったデミング氏
日本企業に改善を教えた米国人エドワード・デミング氏は、第2次大戦後、製品品質向上に興味関心を示さなくなった米国産業界に失望し、GHQに招聘されて日本を第二の故郷とすべく、日本製造業の指導に没頭した。
その生徒たちは、あたかも恩師の期待に応えるかのように米国産業の脅威となるまでに成長し、世界を席巻したのである。舞台を替えて再び歴史は繰り返されるということだろうか。
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もし今の日本にこの状況を挽回する有効打があるとしたら、国策として業務改善のグローバルスタンダードを押さえることなのではないだろうか。
デミング氏から伝授された生産改善の結晶がJIS(日本工業規格)にまとめられたのは紛れもない事実なのだから、できない相談ではないはずだ。
品質マネジメントシステムであるISO9000シリーズの検討委員会TC176の議長国は、いまだに日本であり、付帯する手法やツールの検討も日本が主体的役割を担っている。