1月17日に、第146回芥川龍之介賞と直木三十五賞が決まった。芥川賞は、田中慎弥氏の「共喰い」と円城塔氏の「道化師の蝶」に、直木賞は葉室麟氏の「蜩ノ記」に決まった。3氏には、心より祝福の言葉を送りたい。

 私は、これまで5回芥川賞の候補になり、5回とも落選した。最多落選は、阿部昭氏と島田雅彦氏の6回であり、私は黒井千次氏等と共に3位タイの落選回数者という、名誉とは言いがたい記録を持っている。

 そこで、今回は「芥川賞と私」と題して、作家と文学賞の関係について日頃考えているところを書いてみたい。

 その前に、一言断わっておけば、作家は各々、デビューできただけで十分に運が良かったということである。この事実を忘れずに、以下由なし事を書いていきたい。

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 私は小説を書き始めたのが30歳前後と極めて遅く、文学仲間もいなかったため、文壇の諸事情にはなはだ疎かった。芥川賞が年に2回も選考を行っていることさえ知らなかったのだから、あとは推して知るべしである。

 2000年9月に「生活の設計」で第34回新潮新人賞を受賞した時、私は35歳になっていた。選者は、李恢成・別役実・佐伯一麦・小川洋子・福田和也の5氏で、文句のつけようのない実力者揃いである。そうそうたる方々から満場一致で受賞作に選ばれて、私は天にも昇る気持ちだった。

 屠畜場で働く「わたし」の一人語りというスタイルで綴られた小説は、題材の珍しさも手伝い、授賞式にはマスコミ関係者や他社の編集者も多数訪れた。

 ただし、その時点では、勤めていた屠畜場を辞めるつもりはなかったため、私はあまり評判になって職場に居ずらくなることの方を恐れていた。

 唯一の願いは、「生活の設計」を単行本化してほしいということだった。約1カ月後に、その知らせを受けて、私は至極満足だった。

 しばらくして、某紙の文芸部記者から聞いたところによると、新潮新人賞の受賞作が単行本になるのは約20年ぶりだという。そのため作家志望者たちは、単行本化のハードルが低い出版社の新人賞に応募する傾向があると教えられて、私は自分の無知を幸福に思った。

 『生活の設計』の初版部数は4000だった。単行本を担当してくれた女性編集者は、「今は本が売れませんから」と盛んに恐縮していたが、部数など問題でなかった。なんとしても世に出したいと思っていた小説の刊行が現実のものとなり、私はまさに夢心地だった。

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 この調子で自分のことばかり書いていては読者も興醒めしてしまうと思うので、いま話題の田中慎弥氏と石原慎太郎氏の「バトル」について、私なりの感想を述べておきたい。