バンクーバー新報 2011年9月22日第39号より

オッペンハイマー公園内に刻まれた朝日軍の証し

(左から)ナショナル日系博物館のグレース・エイコ・トンプソン学芸員、元選手ケイ上西さん、バンクーバー市公園課セーラ・ブライス委員、べバリー・オダ国際協力大臣、バンクーバー市ケリー・ジャン副市長。記念碑には「1914年から1941年、日系人が差別に苦しんでいた時代、朝日軍はシニア・アマチュア・リーグで数々の優勝を手にし、ファンを魅了した。ブレイン・ボール(頭脳野球)と呼ばれた機密な機動力を駆使する戦法、堅い守りとチームワークで強豪相手チームと戦った朝日軍は、平等と誠実さのために奮闘していた日系カナダ人にとっての象徴であった。第2次世界大戦を機に解散を強いられたが、その精神は後の世代への遺産となって残されている」という内容が記されている。
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 1914年から1941年までの27年間、フェアプレイと独自の野球スタイルで多くのファンの心をつかみ、人種差別に苦しんだ日系社会に勇気と誇りを与えた日系人野球チーム『朝日軍』。

 1941年12月、朝日軍がパシフィック・ノースウエスト・リーグで5連覇を遂げたその直後に第2次世界大戦が始まると、選手たちは戦時捕虜収容所や強制疎開地などに送られ、朝日軍は事実上その歴史を閉じた。

 連邦政府及び史跡・記念碑実行委員会では、彼らがスポーツを通して示した誠実さ、社会的貢献を文化資源として残すため、このたび記念碑を完成した。

 最後の試合から70年めにあたる今年、ホームグラウンドがあったオッペンハイマー公園内に、朝日軍の証しが刻まれたわけである。

 

 

記念碑除幕式

 今にも雨が降りそうな9月18日の朝、オッペンハイマー公園には多くの人が集まり始めていた。記念碑の除幕式については、『バンクーバー・サン』紙やコミュニティ紙『バンクーバー・クリアー』がとりあげていた。

 9時半に始まった除幕式には、元選手でデルタ在住のジム・フクイさん(95)、カムループス在住のケイ上西功一さん(89)や元選手の家族、関係者、在バンクーバー日本国総領事伊藤秀樹氏が列席し、100人以上の人たちが式典に臨んだ。

 スコーミッシュ族による幕開けの太鼓、NAVコーラス(国歌合唱団)による『オー・カナダ』に続き、連邦政府を代表してべバリー・オダ国際協力大臣、ハロルド・カルマン史跡・記念碑実行委員、バンクーバー市ケリー・ジャン副市長、バンクーバー市公園課セーラ・ブライス委員、歴史家でナショナル日系博物館のグレース・エイコ・トンプソン学芸員、上西さんらがスピーチした。