前回に続いて「放射能雲が通った街・南相馬市」からの報告を続ける。

 東が太平洋、西が阿武隈山地に挟まれた南相馬市の「海側」は線量が低く「山側」が高い。そして福島第一原発に近い南3分の1はざっくりと立ち入り禁止ゾーンにえぐり取られている。しかも「死の灰」(放射性降下物)は東京の官僚が机に座って地図に引いた立ち入り禁止ラインなどまったく無関係に広がった。おかげで、立ち入り禁止地帯より人が暮らしている場所の方が線量が高いという珍妙な現象があちこちで出現した。そんな話を前回した。

場当たり的に設けられた「避難勧奨地点」

 こうした「危険地帯」「安全地帯」の区別は、放射性降下物の散らばり具合に合わせて日々アップデートしていく必要がある。が、「20キロラインより内側は危険地帯=立ち入り禁止」という規制は、4月22日から基本的に何も変更がない。忘れているのかメンツで動かさないのか、どちらだろう。

 しかし、外側にも放射性降下物はどんどん広がる。住民や地元市町村が独自に放射線量を測ったので、20キロライン外側でも高線量の場所が次々に見つかった。

 そういう地点に場当たり的に対応するために設けられたのが「避難勧奨地点」という名称である。要は、線量の高い場所を「点」として指定します、避難するなら補助します、というわけだ。

 こうした名称のややこしさが地元の窮状を分かりにくくしている。そして官僚の愚策を見えないようにしている。自らの失策をごまかそうとしてわざと用語をややこしくしているかのようだ。

「警戒区域」 (立ち入り禁止ゾーン。20キロラインの内側)
「緊急時避難準備区域」 (20~30キロラインの間=9月30日で解除)
「計画的避難区域」 (20キロラインの外側なのに線量が高く避難を余儀なくされた地域。飯舘村など)

 こうした「面」の指定に加えて「避難勧奨地点」という「点」が加わったわけだ。地図を見ると、それが天然痘の発疹のように増え続けている。私が南相馬市を取材で訪れていた12月上旬にも、市内の20地点22世帯が追加で指定された。やはりどの地点も山沿いである(参考「南相馬、伊達市の33地点 避難勧奨に追加指定」福島民報、12月10日)。

日常的に線量計を持ち歩く人たち

 その1つである「馬場」という地区を訪ねてみることにした。前回訪ねた高線量の山間部・横川ダムから4キロほど北東。20キロラインからも2キロほどしか離れていない。ここも、まさに放射能雲が通った真下である。