12月8日は日米開戦の70周年記念日である。1941(昭和16)年のその日、日本軍はハワイのパールハーバー(真珠湾)の米軍基地に攻撃をかけた。米国では時差のために12月7日だった。だから7日がパールハーバー記念日となる。
さて、私は今から20年前の1991年12月7日、パールハーバー50周年記念日にハワイの現地に出かけた。ちょうど半世紀という節目に、米国ではパールハーバーを中心に大規模な記念式典が催されたのだった。私はその報道のために現地入りしたのである。
米国のわだかまりを感じた50周年の式典
時の大統領は先代のブッシュ氏、つまりジョージ・H・ブッシュ氏だった。そのブッシュ大統領が12月7日の朝、アリゾナ記念館での追悼記念式に臨んで演説をした。
「アリゾナ」は言うまでもなく米海軍太平洋艦隊の戦艦アリゾナである。日本軍の奇襲で轟沈し、その残骸は今も海底に横たわっている。アリゾナ記念館はその残骸の上の水上に築かれたのだ。ブッシュ大統領はそこで2400人余りの米軍戦死者への追悼をまず述べた。日本軍の攻撃で死んだ米軍将兵の霊への弔意だった。
「しかし、米国と日本は今はもう完全に和解を果たすに至りました。私は日本や日本国民に対して、なんの恨みも憎しみを持っていません。戦後の日本は民主化を果たし、米国の同盟国として民主主義や自由を共有するようになったのです」
ブッシュ大統領のこうした言葉は真実の思いを語っているように響いた。しかし、それでもなお当時の私は米国側のわだかまりを感じさせられたものだった。その日の一連の式典には「パールハーバー生存者連盟」という会のメンバーが約6000人も加わっていたからだった。
この組織は、日本軍の攻撃時にパールハーバー地区で軍務に就いていた旧米軍将兵たちが結成していた。そして半世紀が過ぎた1991年でも、全米でなお1万2000人の会員が健在だった。だから50周年の式典に先立って、なお「日本軍のスニークアタック(だまし討ち)」を非難する声があったのだ。
その種の声は米国側の大手メディアでも、またハワイの新聞やテレビでも時おり伝えられていた。
テキサス州在住で50周年式典に出るためハワイに来たという、かつてのパールハーバー勤務の元米海軍下士官ケネス・クリース氏は、ハワイのテレビのインタビューに応じて以下のように語っていた。
「私の戦友たちはみな戦争をするつもりでパールハーバーの軍務に就いていたのに、その多くが眠っているうちに日本軍のスニークアタックで殺されてしまったのです。あんなだまし討ちは一方的な殺人と変わりなかったと言えます」