ハイデガーやメルロ=ポンティーの研究で知られる哲学者・木田元さんが自身の生涯を振り返った一冊だ。80歳になる木田さんは、戦後の混乱期に闇商売やテキヤ稼業に身を染め、それで家族の生活費を賄うなど、人生の回り道を重ねて哲学の道に入った。
哲学への入り方も変わっていた。闇商売で一山当てて生活費の問題がなくなったため、何か勉強しようとして、たまたま紹介された農業専門学校(現在の山形大学農学部)に入る。しかし、別に農業がしたくて入ったわけではなく、何をしたいのか分からないまま悶々とした日々を送ることになった。
2浪以上して入学した学生を積極的に採用
父親の影響で読書は大好きだったので、自然と時間を見つけては読書に励むようになった。中でもドストエフスキーの虜となり、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』など手当たり次第に読みふけった。
絶望した人を描くことが多かったドストエフスキーの関連から、キルケゴールの『死に至る病』を読むようになり、キルケゴールの著作にはまっていく。そして絶望した人間を分析してくれる本がないかと探すうちにハイデガーにたどり着く。
彼の著書である『存在と時間』で無神論的実在哲学を主張していることを知ったからだ。絶望感あふれていた当時の木田さんは、「これだ!」と思ったのだが、これが読んでも読んでも全く理解不可能だった。
ハイデガーが読みたい。その一心で大学へ入って哲学の勉強をする決心をする。その時は既に21歳になっていた。木田さんは言う。「若いうちは回り道したっていいじゃないですか。何をやりたいか分からないままどんどん先に進むことより、じっくり時間をかけて回り道をいっぱいしてから納得のいく道を選ぶべきです」。
そんな自らの経験から、大学教授となってからはあえて浪人した、それも2浪以上して回り道してきた学生を好んで哲学科に取るようにしていたという。「若い時に挫折したり悩んだことがない人間は将来伸びないんです」と木田さんは話す。
比較優位が目的化して一人歩きし始めた
少子化で大学には入りやすくなったはずなのに、どういうわけか年々激しくなっている受験戦争。進学塾のロゴが入ったカバンを背中にしょって歩いている小学生を見るたびに可愛そうな気持ちになってしまう。
同じ子供を持つ身として親の気持ちも分からないではないが、何がやりたいかが分からないまま一流大学を卒業しても、将来、何かを成し遂げる人材とはなり得ないのではないか。一流企業に入っても指示待ちのサラリーマンを量産するだけだろう。
木田さんはさらに指摘する。「よく幸福論について書いてくださいと頼まれるのですが、きっぱりお断りしています。ぼくは幸福論が嫌いなんです」。その理由は、幸福になろうとする人間の性根である。