近年マスコミは、ウィンドウズの発売、サッカーのワールドカップ出場といったことにまで「歴史的瞬間」という言葉を頻繁に使うようになり、もはやその響きに重みを感じることは少なくなった。
しかし、日々ニュースの洪水に溺れ情報が右から左に抜けていくばかりでは、「過去」である歴史に占める重要度を「現在」を生きている人間が認知することは極めて難しいと言えよう。
何も起きなかった20世紀末だったが・・・
一部で懸念されていたミレニアム末、世紀末にもさしたる事件は起こらず平穏に迎えた2001年。
スタンリー・キューブリックが人間の作り出したコンピューターによる人間への反乱元年として『2001年宇宙の旅』(1968)で描いたような問題もまだまだ先のこと、などと考えていたある日のこと・・・。
朝から英ウェールズの中心都市カーディフにある国立博物館でケルト文化にどっぷりとつかってウェールズとイングランドの微妙な関係に思いを巡らし、早めにホテルに戻っていた。何気なくつけたテレビには、見覚えのあるニューヨークの風景が大写し。
しかし、あのワールド・トレード・センター・ビルからは煙が上がっている。反射的にハリウッドの新作映画のプロモーションと思ったものの、ちょっとばかり雰囲気が変である。チャンネルを変えてみても、どこも同じ映像ばかりだ。それが現実のものであることに気づくのに時間はかからなかった。
時は2001年9月11日。あの同時多発テロの瞬間である。ことの特異ぶり、その後続々と発表される各国の反応を見れば、翌日の米国、ジョージ・W・ブッシュ大統領の「これは戦争だ」という発言を待つまでもなく、これが「歴史的瞬間」であることは明らかだった。
古代遺跡のようなグラウンドゼロ
その時点ではいまだ国際政治的な背景ははっきりしていなかったが、旅客機が武器になったということが、その後もたらすであろう世界交通システムへの影響を思えば、政治経済の根幹を揺るがすものであることは疑いようもなかった。
そして、もしこれが米国への攻撃だとすれば、無二の盟友トニー・ブレア率いる英国にいる米国のもう1つの同盟国、日本の国籍保持者という自分自身がこれから日本に帰ることへの不安、という目前の問題にも直面するのだった。
幸いにもそれが杞憂に終わり無事日本には帰りついたものの、独り勝ちの米国、ネオリベラリズム「勝ち組」の象徴とも言える『マンハッタン』(1979)にそびえ立つ『ワールド・トレード・センター』(2006)があっけなく崩壊したこの時から、世界を覆う空気はそれまでと明らかに違うものとなってしまった。
数年を経てその地を訪れると、周りを囲うフェンス近くに犠牲者の名前が掲げられた古代遺跡の発掘現場にも似たその風景は、既にグラウンドゼロという名の「歴史」となっていた。
その後再開発は進み2006年にはまず第1棟が完成、再び「歴史」の場は「現在」を生きる人間の世界に吸収されつつある。「現在」を生きる人々にとって、グラウンドゼロはそのまま残すにはあまりにも重要な場所に位置するのだ。