「ホワイトホール文化」に冷水、サッチャー英首相がNPM推進

「鉄の女」サッチャー氏の肖像画、英首相官邸に

「鉄の女」サッチャー英首相、NPMを推進〔AFPBB News〕

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 この「ホワイトホール文化」に冷水を浴びせる打開策として打ち出されたのが、ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)である。仕掛け人は「鉄の女」こと、マーガレット・サッチャー首相。首相府に「能率室」が設けられ、政府部局の民営化・エージェンシー化や市場テストの実施が次のジョン・メージャー政権にかけての20年間弱で進んでいった。

 NPMのキモは、「運営者に運営させてやれ」。政治家は細かいことに口出しせず、民間企業の株主と経営者のように一度契約を結んだら、自由に経営をさせてやりなさい。ダメだったらクビにすればよいのだから。

 このため、エージェンシーのトップは官僚である必要はない。民間から公募でもいい。有能な経営者は必ずしも官僚出身から採用できるとは限らないし、経営監視は厳しい監査で実現できる。

 1990年代~2000年代初め、NPMは優れた政官関係のモデルとしてオーストラリアやニュージーランドなど旧英連邦諸国、そしてさらに経済協力開発機構(OECD)諸国へと伝播していった。

 先進国政府ではNPMが流行となり、日本でもサッチャー政権に遅れること約10年、2000年代初頭の小泉純一郎政権下の経済財政諮問会議でようやくNPMが行政改革の基本方針として採用された。

「監査の爆発」と「政治のコントロール不能」

 しかし、NPMの本家本元の英国では1990年代末、奇妙な2つの事態が発生しつつあった。

 1つは「監査の爆発」。行政の効率化は事前規制よりも事後監査が大事、そしてその監査もムダ撲滅のために念入りに・・・。とばかりに、監査ばかりが増えてしまった。度重なる監査、監査準備のために疲弊する行政現場、そして監査の監査・・・。この笑えぬ事態「監査の爆発」を題名にした本を出版した英国の政治学者もいたほどだ。

 もう1つが、「政治のコントロール不能」。NPMの導入でエージェンシー化や民営化した組織に大胆な権限委譲や経営の自由度を与えたのはよかった。だが、その経営トップが政治へのこまやかな配慮を次第になおざりにし始めたのだ。確かにそんな配慮をしていたら、契約で請け負った業績は挙がらない。官営時代には機に聡い官僚が時の政権に行っていた微妙な配慮は、等閑視されるようになった。

 しかし、エージェンシーが事故などの失態を演じた時には政権が、なかんずく担当大臣が結局は国民から批判を浴びる。「そのエージェンシーと契約したのは担当大臣だろ!」というわけだ。

 これに対し、経営を複数年度で請け負うエージェンシーのトップは政治家の言うことなどいちいち気にしていられない。NPMの建前から言えば、業績は契約の最終年度に挙がっていればよいのである。

 行政を効率化して政官関係を正すためのNPMを進めれば進めるほど、現場は国民の声を代弁するはずの政治の言うことを聞かなくなってしまう。それをコントロールしようと厳しい監査に入れば、今度は現場がその対応で疲弊する・・・。もはやパラドックスとしか言いようがない事態に陥ってしまった。