10月16日で妻が50歳になった。区切りの年齢であり、私は素直に祝福しているのに、妻はショックの方が大きいようである。

 妻にしてみれば、肉体的な衰えもさることながら、教員として残りの歳月をどう送るのかが気になるらしい。

 私の妻は公立小学校の教員をしているのだが、あと10年しか働けないとなると、市内のどの学校で何年生を受け持とうか、同じ学年を組むならあの先生がいいなどと様々な願望がにわかに湧き起こったようで、私は捕らぬタヌキの皮算用だと笑っている。

 そもそも50歳まで健康で働いてこられたことが僥倖なのだし、人生は思いがけない出会いの連続なのだから、この先生となら上手くいくと思ったからといって期待通りになるとは限らない。

 もちろん妻もそんなことは分かっているはずなので、残り10年という具体的な数字を突き付けられて、柄にもなく慌てているのだろう。

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 私は2月8日生まれの46歳で、妻との年の差は3つと4つを行ったり来たりする。結婚した時は27歳と24歳で、私は彼女をかなり年上に思っていた。

 つらつら考えてみるまでもないのだが、私は年下の女性と付き合ったことがない。妙齢の美しい女性と懇ろになりたいという欲望も、現在はほぼ持ち合わせていない。また、巷間よく言われる、女性を守ってあげたいという気持ちは物心ついてから一度として抱いたことがなく、妻に対しても、どうか自分なりに奮闘努力して、納得のいく教員生活をまっとうしてもらいたいと切に願っている。

 小説家という定年のない仕事を生業にしているせいか、私は自分の将来についてなんらの青写真も描いていない。現在取り組んでいる小説をいいものに仕上げて、執筆の約束をしている新作が上手く書き出せることを願ってはいるが、それ以上のことは考えたくても考えようがない。