読者のみなさん、明けましておめでとうございます。今年もロシア世界では様々なことが起こると思いますが、それに先立ち、今回は2009年がロシアにとってどんな年であったか、内側と外側の両方から振り返ってみたいと思います。
通貨危機の1998年より辛かった2009年
ロシアで世論調査を実施している大手民間調査会社のレワダ・センターは、ロシア国民が2009年をどのように見ているかという調査結果を12月末に公表しました。
最近の12年間では2009年が「一番大変な年」と答えた人の割合が最も多く、20%にも達したそうです。これに対して、ルーブル危機が起きた1998年を「一番大変な年」として位置づけた人の割合は12%にとどまり、調査関係者を驚かす結果となったようです。
確かに、2009年はウクライナとの天然ガス紛争で東ヨーロッパ中が震え上がったことに始まり、シベリアでの大きな水力発電所事故、モスクワ~サンクトペテルブルグ間の幹線鉄道のテロ爆破事件など大変な事件がいくつも起こった年でした。
しかしながら、原油価格が1バレル当たり12ドルにまで下がり、ルーブルが3分の1以下に切り下がった1998年の金融危機の時よりも2009年の方が「辛かった」と答えているのはどういう理由からでしょうか。
1998年当時のロシアを振り返れば、1人当たりのGDP(国内総生産)は2009年の4分の1以下で、国民全体が貧しい生活を強いられていた時代です。ロシア人の多くが生活に辛さを感じていたはずです。
恐らく、その理由は変化率の激しさにあるのではないでしょうか。
急激な成長の後だったためにダメージが大きかった
まず、1998年当時は、皆がそもそも一様に貧しく、対外的な金融危機から来る生活苦の影響は、一部の人には衝撃的だったかもしれませんが、多くの国民にとっては貧しさの延長線上としてとらえられていたのではないでしょうか。
さらに、今回の世論調査では基本的に勤労者を対象にしているので、98年の金融危機の時にはまだ若く、「親の世代の出来事」として、大半の人にとって直接の当事者ではなかったことも背景にあるでしょう。
これに対して今回の危機では、彼らが直接の当事者となっただけでなく、ロシア経済の復興でいったんは所得が10倍にも膨らんでいました。中流階級の層が急速に拡大、1バレル147ドルにまで高騰した石油価格のバブルに沸いていた2008年7月までの「豊かな生活」の記憶があまりに鮮明でした。