前回の当コラム(2009年10月22日付「勲章に群がる経済人」)で勲章の話を取り上げた際、半月後に発表を控えた秋の叙勲について「サプライズはあり得ない」と言い切ってはみたものの、やはり結果は気になっていた。官僚主導の打破を掲げて華々しく登場した鳩山政権が、初めて手掛ける叙勲に従来とは異なる要素を加味し、清新な人選で国民をうならせる可能性もなくはないという期待が頭をかすめたからだ。

 だが、文化の日の11月3日付朝刊を手にして改めて納得がいった。世の中には、変わるものもあれば、そう簡単には変わらないものもある。新聞の中面1ページを費やして掲載された上位の勲章受章者一覧は、サプライズどころか、まさに政・官・業が既得権益を擁護し合ってつくり上げた旧来の「叙勲秩序」そのものだった。

 考えてみれば、発足して間もない新政権には難題が山積している。叙勲の扱いなど、優先度から言って相当に低い部類に属する問題なのだろう。

 ましてや、今回の叙勲は自民党政権下の官僚機構で推薦・格付け作業が進められた案件だ。こっそり引き継いだ内閣官房報償費(いわゆる「官房機密費」)と同様、今の時点で無理に事を荒立てる必要はないと腹をくくったのかもしれない。

鳩山首相が所信表明、「人間のための経済」への転換掲げる

「友愛社会」の栄典制度は?(参考写真)〔AFPBB News

 それならば、まだ良しとしよう。2010年春の叙勲までには時間もある。しかし、新政権が現行の叙勲秩序に何の疑問も持たず、今後もこの秩序を維持するというのであれば、鳩山由紀夫首相が所信表明演説で強調した「戦後行政の大掃除」や「人間のための経済」といったフレーズは、まやかしだと断言するほかない。

 前回も指摘したように、戦後20年近くたって復活した生存者叙勲制度は、官僚の視点で決められた授与基準の下、公益法人や天下りの仕組みとも構造的に重なり合いながら、日本の経済社会に根を下ろしてきた。

 個々の産業や企業はあらかじめランク付けがなされ、勲章の位を決めるための評価では、人物より所属組織、功績より在職期間が重視される傾向がある。これが「友愛社会」の栄典制度だとはとても言えまい。