なぜか手段に拘泥した小泉郵政改革
「殺されてもいい!」と言うほど、手段である「民営化」にこだわった〔AFPBB News〕
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豚と郵政、太るか、死ぬかしかない?〔AFPBB News〕
有能な民間経営者も、手かせ足かせをはめられて力発揮しきれず・・・〔AFPBB News、JBpress〕
公的金融が縮小できれば、本来ならば、どちらでも良いはずなのだが、小泉純一郎元首相はなぜか、手段に過ぎない「民営化」を「改革の本丸」と思い込み、「俺の信念だ。殺されてもいい」とまで言い放った。国民も、アジテーションに乗せられ、熱狂的に小泉・竹中路線を支持した。
もちろん、「民営化」は公的金融縮小のための選択肢の1つであり、それ自体に問題があるわけではない。しかし、あまりに障害が多すぎた。
郵貯・簡保は資産規模300兆円を超える巨体ではあるが、その中身は低利の国債の塊でしかない。民間企業として生き残っていくためには、拠点の見直しなど大胆なリストラを進め、運用多角化で収益性を高めるしかない。ところが、リストラは政治介入で思うようにできず、収益の多角化も民間金融が過当競争に陥る中では限界があった。
『豚は太るか死ぬしかない』(ウォーレン・マーフィー/ハヤカワ・ミステリ文庫)という米国のミステリー小説がある。民営化が決まった郵政はこのタイトル通りになった。リストラが阻まれ、固定費が減らせない郵政は巨体を維持し、太り続ける以外に生きる道はなくなった。なぜなら、資産減少は収益源につながり、膨大な固定費が賄えないからだ。痩せると死んでしまう豚は必死に太ろうとするが、競争過多で太りようもなかった。
超巨大組織の効率化は、民間企業ですら難しい。公的事業ならなおさらだ。舵取りを担う経営トップは、超強力なフリーハンドが担保されなければならない。ところが、政治は民営化だけ決め、雇用やネットワークなどの維持という手かせ足かせをはめた。これにより民営化は「ミッションインポッシブル」と化し、生田正治氏や西川善文氏らの奮闘は報われないものとなった。
公的性格強めても、国債引き受けマシンにはなれない
では、斎藤氏率いる新生・日本郵政の将来はどうなるのか。副社長陣には、大蔵省と郵政省出身の元官僚が名を連ね、社外取締役になぜか女性作家が加わった。顔ぶれを見ても、民営化推進の意志が皆無なのは明白。今後、官制色を強めるのは必至だ。その方向性は2つあるが、それを提示する前に、一部に根強い「民主党は郵貯を財政赤字の受け皿にするつもりだ」との観測を検証しておこう。
結論から言えば、郵政が赤字国債を引き受けても、国債増発が容易になるわけではない。郵政が国債を買い増すには財源が必要だ。あいにく郵政は中央銀行ではなく、お金は作れない。従って、預金限度の拡大や利息引き上げで資金を集めなければならないが、その大半は民間銀行などからのシフトとなる。



