第45回衆議院議員総選挙が2009年8月18日に公示された。閣僚の度重なる不祥事や辞任劇、更には麻生太郎首相本人の失言や判断のブレが目立ち、内閣支持率は長期低迷。自民党にとっては、最悪のタイミングでの選挙となった。対する民主党は、鳩山由紀夫代表や小沢一郎代表代行の政治献金に関する疑惑が残るものの、自公連立政権への不満の受け皿として支持を拡大し、悲願の政権交代の実現に向けて王手をかけた。

 保守合同と左右社会党統一による「55年体制」の確立後、「政権交代」が実現した選挙は、細川連立政権が誕生した1993年を除くと1度もない。それだけに今回の総選挙が歴史的なものとなる公算が大きいのは確かだ。

 その一方で、選挙後の政治には大きな不安がつきまとう。それはなぜか。現在の有権者のほとんどが真の「政権交代」を経験していないことがその一因ではある。

 1993年総選挙後の非自民政権にしても、結局は自民党が当時の社会党と連立を組むという「禁じ手」を使って1年足らずで政権復帰したため、あまり良い印象を残さないまま歴史の中に埋没してしまった。それ以前のまともな政権交代となると、政友会と民政党による大正デモクラシーの時代まで遡らなければならない。

 とはいえ、それが不安の原因の全てではない。やはり、国民が漠然と抱いている先行き不安に選挙後の新政権がどう対応していくのか、自民党も民主党も示せていないからだろう。

信念貫いたサッチャー、政治閉塞を打破する原動力

 それが正しいかどうかは別として、多くの識者や政治家、とりわけ民主党が議会制民主主義の「お手本」と考えているらしい、英国における政権交代を分析してみたい。

 1970年代の英国は今の日本と同様、いや見方によってはそれよりはるかに深刻な経済不況と社会不安に直面した。

 当時、第2次世界大戦後の英経済政策の基調である「揺りかごから墓場まで」という、混合経済・福祉国家モデルは完全に行き詰まっていた。通貨ポンドは長期低落し、最高税率95%という重税に対して有能な高所得者層が国外へ流出。炭鉱や鉄道ではストライキが頻発し、経済活動は機能不全を起こしていた。

 国民の現状不満と将来不安は日増しに高まるが、1970年代半ばまでの保守党・労働党の2大政党の政策姿勢は似たり寄ったり。閉塞状況を打破できる政策はおよそ期待できなかった。

サッチャー元英首相の娘が回想録を出版へ

信念貫いた「鉄の女」〔AFPBB News

 こうした中で登場したのが、「鉄の女」と称されたマーガレット・サッチャー。1975年に彼女は野党であった保守党の党首選挙で予想外の勝利を収め、1979年の総選挙で同党を勝利に導いて首相の座に就いた。

 その後、公益事業の民営化や減税、金融ビックバンといった市場経済重視の諸改革を断行。1990年まで11年強、後継のジョン・メージャー政権を含めれば18年近くに及ぶ長期政権を維持したことは、日本人の記憶にも留まっているはずだ。

 ここではいわゆる「サッチャー主義」の当否は問わない。実際、サッチャー政権については、英国経済の復活をもたらしたという肯定的な評価がある一方で、弱者切り捨てや伝統的価値観の破壊という批判も当時から激しかった。最近ではサッチャー、レーガン(元米大統領)以来の「市場原理主義」が今般の世界金融危機の根本原因だとも言われている。

 ここで指摘したいのは、サッチャーが自らの信念を政策面で貫き通した事実だ。停滞する英国経済を立て直すには、行き過ぎた介入による「政府の失敗」を除去し、国民の国家への依存心をなくして起業家精神を再興させるしかない・・・。そういう確固たる信念が、サッチャーにはあった。後年、行き過ぎを批判されるにせよ、それこそが英国政治の閉塞打破に必要な原動力だったと言ってよい。