今回は7月1日の胡錦濤重要講話「精読」の最終回だ。前回は、中国共産党員が先進的かつ純潔で、人民のためだけに奉仕する才徳兼備のマルクス主義者であれば共産党の「指導」は引き続き正当化される、という摩訶不思議な論理をご紹介した。
イデオロギー的に「純潔」ならば「腐敗」を防止できるというロジックには驚いたが、共産党も「統治の正統性」維持に必死なのだろう。
胡錦濤総書記はこの重要講話の中で「人民」なる語を136回、「民主」なる語を40回も使っている。中国の友人によれば、「こんなことはあまり例がない」そうだ。
前例を詳しく検証したわけではないが、やはり今回の共産党指導部の国民に対する気遣いは尋常でないと思う。まあ、「純潔性」の話はこのくらいにして、今回は胡錦濤重要講話の最後の部分を詳しくご紹介したい。(文中敬称略)
社会主義先進文化
「中国には純粋の文化活動なんてないんだよ。あの国で文化は政治そのものだ。その証拠に、『文化大革命』って言うだろう?」
2000年秋、北京赴任が決まった筆者に外務省のある先輩が述べた言葉だ。今でも中国の「文化」に関する至言だと思う。
その「文化」について、胡錦濤総書記は1万4000余字ある「7.1重要講話」の中で740字ほどを充てている。例えば、こんな具合だ。
●我々が前進するためには、社会主義文化の大発展と大繁栄を引き続き強く推進し、社会主義先進文化を発展させることが必須である。
●社会主義先進文化とは、マルクス主義政党の思想精神の旗幟であり、・・・これを発展させるためには、国民教育・精神文明建設・党建設の全ての過程で社会主義の核心的価値体系建設を取り入れなければならない。