ブッシュ米政権で2001年2月から4年にわたって通商代表部(USTR)代表を務めたゼーリック世界銀行総裁の顔を、時折テレビで見掛けるといまだに不愉快な気持ちになる。
あのころ筆者はよく彼の記者会見や講演に足を運んだが、彼は必ずと言っていいほど、日本を見下したような言葉を口にしていた。おまけに米中関係の話題になると、決まって「世界の2つの経済大国」という見当違いのフレーズを持ち出し、日本のことなど歯牙にも掛けない素振りを見せたものだった。
当時の中国は、国内総生産(GDP)の世界ランキングで6位。日本の4割程度の経済規模でしかなかった頃の話だ。
もちろん、いずれ中国が日本を抜き去ることは、当時の誰もが予想していた。それをさも実現したことのようにゼーリック氏に言われて癪に障ったのは、いくら落ち目だとはいえ、日本が中国の後塵を拝することになるのは「まだ当分先の話だ」という身びいきの思い込みがあったからかもしれない。
だが、変化は予想外の速さで進んでいた。国際通貨基金(IMF)によると、2008年の名目GDPは米国が14兆2646億ドル、日本が4兆9237億ドル、中国が4兆4016億ドルとなり、日中の差は一段と縮小。上海で万国博覧会が開かれる2010年、中国は日本を追い越し、いよいよ米国に次ぐ世界第2位の経済大国に浮上することが確実視されている。
しかも、経済産業省が2009年6月に発表した通商白書によれば、今年の中国が年率8%の経済成長を遂げ、日本の成長率がマイナス3.5%以下にとどまった場合、年内に日中逆転が現実のものになるという。
エコノミックアニマル→アズ・ナンバーワン→バブル崩壊
「世界第2位の経済大国」が日本の代名詞として使われた期間は40年に及ぶ。そのちょうど半分が、幸福な夢に酔いしれた時代。後半は、宴のツケを払い続けた斜陽の時代だった。
1968年の国民総生産(GNP)が51兆920億円(1419億ドル)に達したと経済企画庁(当時)が発表したのは、大阪万博を翌年に控えた1969年6月10日のことだ。実質で前年比14.4%増という驚異的な成長率。翌日の朝刊各紙は1面で「昨年の国民総生産50兆円を超す 西独抜き西側2位」と誇らしげに報じた。
「エコノミックアニマル」という陰口をたたかれながらも、急速な経済発展を支える「日本的企業経営」に対し、世界中が畏敬の眼差しを向けていたことが懐かしく思い出される。10年後の1979年には、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授が書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった。
その10年後の1989年は、年末に日経平均株価が3万8915円の史上最高値を付けた年だ。バブルはピークに達し、あえなく崩壊。さらに10年後の1999年、デフレは深刻の度合いを強め、日銀はゼロ金利政策の導入に追い込まれた。