読者の皆さんは1966年に始まった中国の「文化大革命」のことを覚えておられるだろうか。
50代以上の方々にとっては青春の一部だったかもしれない。逆に、30代以下の若い世代には全く実感がないだろう。試しに「文革」をキーワードに日本のブログを検索したら、「文化大革命は本当にあったんだ!」という信じがたいコメントまで見つかり、逆にこちらがショックを受けた。
文革を知らない日中の若者たち
状況は中国でも同じである。2000年からの北京在勤時代には、中国の大学でよく日中関係の講演をさせてもらった。その際はいつも、「1960年代後半から70年代にかけての日本の過激な学生運動は中国の文革の影響を強く受けていた」と説明する。先生方は大いに当惑し、学生たちは目を丸くして驚いていた。中国の若い世代も文革のことは詳しく知らないのだ。
筆者が文革に興味を持った理由は簡単である。1953年生まれの筆者がもし北京で生まれていたら、自分の人生はどうなっただろうか。それを考えれば、現在の中国社会をより身近に感じるのではないかと思ったからだ。
その後約3年間、暇を見つけては文革の「聖地」を巡った。自分と同世代の中国人から辛かった昔話を聞いた。案の定、彼らの口は重かった。だが、次第に打ち解けると、少しずつ本音を語ってくれるようになった。彼らの辛苦に心から同情し、涙したことも1回や2回ではない。
日本には権力闘争としての「文革」を検証した優れた著作が多い。しかし、本稿ではあえて現代中国の偽装隠蔽体質の源流に焦点を絞り、文化大革命が中国社会に残した負の遺産を検証していく。
破壊された中国の伝統的価値観
文革が始まった1966年夏、筆者は13歳だった。もし北京で生まれたら紅衛兵になっていただろう。当時の中学生なら誰でもそう思った、と多くの同世代中国人は教えてくれた。
毛沢東主席の教えに忠実な紅衛兵であればあるほど、「造反有利」の名の下に儒教・仏教に代表される中国の「伝統文化」や労働者・農民以外の「反革命・反動分子」を片っ端から攻撃・破壊していった。
「家庭」も例外ではなかった。紅衛兵は実の両親にも自己批判を迫り、多くの親たちが大衆討論で半殺しの目に遭ったはずだ。その後、学生たちは僻地の農村に「下放」され、そこで多くは人生で最も大切な「青春時代」を失っていく。
ここで、中国の名誉のために申し上げるべきことがある。文革が始まる前の中国社会には一定の伝統的倫理・価値基準が残っていた。当時社会主義化が進み、「反右派闘争」や「大躍進」などで一部混乱が生じていたことは事実だ。それでも心ある人々は貧しいながらも昔と同様の美徳と倫理観を保持していたそうだ。これは本当だと思う。
数千年の動乱を生き抜いてきた中国庶民は強(したた)かである。伝統的「天地論」に基づき、共産党も新たな「天」の1つに過ぎず、自分たちの生活領域である「地」に大きな変化はあるまいと高を括っていたのかもしれない。