筆者は22日東京市場におけるユーロ相場の急落劇をスクリーン上で見ていて、「これは一つの時代が終わったな」と感じざるを得なかった。「20年バブル」とでも呼ぶべき時代の終わりと、金融マーケット縮小局面の到来である。

 1988年4月にマーケットの世界に身を投じて以来、筆者は20年以上にわたって、ロイターの「ASAP」と「WXWX」という同じスクリーンで、為替相場を眺め続けている。ユーロが対ドルで1.3ドルに近付いても、いわゆる「防戦買い」らしき動きは鈍く、そのままユーロは力なく1.3ドルを割り込んでいった。昼過ぎにユーロ/円が130円を割り込んだ後の動きも急だった。筆者が作成した「1.3ドル・130円割れ」のリポートがウェブサイト上にアップロードされるまでの間に、ユーロ/円はそこからさらに数円急落していた。外国為替市場でも流動性が低下していることは明らかである。ストップロスオーダーが並んでいたにしても、動きは平時に比べて急すぎる。ここ数か月、債券先物で見られた、売りが入っても買い向かう(逆張りでリスクテイクする)市場参加者が非常に少なく、するすると価格が落ちていく動きとも、実によく似ていた。

グリーンスパンFRB前議長、「米国は世紀に一度の金融危機」

グリーンスパンFRB前議長〔AFPBB News

 「ボルカーからグリーンスパンへ」。1987年8月の米連邦準備理事会(FRB)議長交代が「20年バブル」の発生に寄与したとすれば、次期大統領に最も近い位置にいるオバマ候補の経済政策顧問としてボルカー氏が最近急速に存在感を増しており、ウォール街の貪欲さ(greed)を批判していることは、「20年バブル崩壊」を示す出来事として、実に象徴的である。

 1987年10月に起こった米国株暴落「ブラックマンデー」に対し、FRB議長就任からさほど時間が経っていなかったグリーンスパン氏は、迅速な流動性供給によって株式市場クラッシュの実体経済への悪影響阻止に注力した。これが、「グリーンスパン・ドクトリン」、資産バブルは金融政策によって予防するのが現実問題として難しいので、バブル崩壊後に事後処置として金融緩和を迅速かつ急激に行って経済への悪影響を最小限に食い止めるのが最善だ、とする政策運営方針のスタート台となった。市場では「グリーンスパン・プット」という言葉が聞かれるようになった。株価が急落しても、FRBが利下げで株安に対応してくれるはずだから、株のプットオプションを持っているのと同じで、大きな損失は被らないはずだという、一種の安心感(というよりモラルハザード)を反映した用語である。

 しかし、グリーンスパン氏は、結果としてみれば、「ITバブル崩壊の後始末を住宅バブルという新たなバブルで行ったのではないか」という批判が徐々に強まるようになり、バーナンキ現FRB議長をはじめとする連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーも、そうした批判をある程度意識せざるを得なくなっている。

 むろん、そうした批判を意識しつつも、今回の世界的な金融危機・景気悪化の深刻さに鑑みて、FOMCはさらに利下げを続けざるを得ないわけだが、仮に、オバマ政権が誕生する場合に、ボルカー氏が財務長官など経済政策運営の枢要な地位に就く場合には、「ウォール街はとんでもないことをしでかした」「ウォール街の失敗で経済が危機に直面することがないよう、金融システムを根底から再構築しなければならない」(10月23日付 日経新聞)といった発言をしているボルカー氏が、バブル再発を予防する方向で、金融機関の規制監督体制の再構築とリスク管理強化に力を注ぐであろうことは、想像に難くない。ドイツをはじめとするユーロ圏も、そうした方向性には米国以上に積極的である。日本もまた、米欧と同様の流れになる可能性が高いだろう。
「デレバレッジ」加速、言い換えると「金融マーケット縮小局面」の到来である。

 もう1つ、米国の実体経済面で、非常に重要な動きが今後鮮明になってくることが予想される。それは、「過剰消費」の修正である。朝日新聞が朝刊1面で連日掲載している特集記事「金融危機 世界同時不況」は読み応えの十分ある内容なのだが、23日に掲載されたその第3回に、米国人の借金を元手にした過剰消費体質について、以下のような記述がある。