太陽の光の下で野菜などの植物を育てる。当然すぎるようなこの栽培法が、当然のものではなくなってきている。太陽光から隔絶された「完全制御型植物工場」という閉鎖空間で、野菜などを栽培する技術が進化しているからだ。これまでの農業とは一線を画す、植物栽培の「飛躍」が植物工場にはある。

 人工的な環境のもとで植物を育てる上で、とりわけ重要になるのが光だ。日本をはじめ世界の植物工場で様々な種類の光が灯されてきた中、玉川大学農学部の渡邊博之教授は、発光ダイオード(LED)の光を植物栽培に駆使することを思いついた。社会でも普及しつつあるLEDの光を、工場の植物はどのように受け止めるのだろうか。

 かつて「野菜」は文字どおり、野に生える菜(な)のことを指していた。食していたのは大名などの支配者たちで、嗜好品の色合いが強かったという。その後、室町時代になると、城下町の庶民も野菜を食べるようになり、需要を満たすべく野菜の栽培が本格化していったという。

 なじみある野菜の数々。いつ日本に入ってきたのかは種類によりけりだ。サラダやサンドイッチに使われるリーフレタスは、すでに奈良時代に中国から入ってきていたという。

 ジャガイモは、安土桃山時代の1598(慶長3)年、ジャワ島のジャカルタからオランダ人により持ちこまれ「ジャガタライモ」と呼ばれるようになった。

 トマトはというと、江戸時代に観賞用として入り、食用として栽培されたのは18世紀からだ。野菜の種類と同じ数だけ、渡来や栽培の歴史がある。

 野菜の栽培技術は確実に進歩を遂げてきた。1893(明治26)年には、東京帝国大学園芸学講師だった福羽逸人が著した『蔬菜栽培法』により、多くの野菜の栽培法が体系化された。大正時代には、ホウレンソウやキャベツなどの栽培も進んだ。

 大きな変革があったのは、終戦直後の1946(昭和21)年だ。東京・調布飛行場の西側に「ハイドロポニックファーマ」と呼ばれる農場が占領軍によってつくられ、一角に2ヘクタールの「ガラス温室」ができた。ここで米兵たちは小石を敷きつめてサラダナの苗を植え、栄養豊富な溶液を与えて育てた。これが世界初の溶液栽培とされる。

 そして、この農場で働いていた日本人たちが、この溶液栽培技術を日本各地に広めた。トマト、ナス、ホウレンソウ、レタス、さらにメロンやイチゴに至るまで、現在に続く溶液栽培が広まっていった。