合同結婚式で韓国に嫁いだ日本人女性の評価

 韓国に住んでいると、旧統一協会の信者と知り合う機会は少なくない。特に筆者のようにソウルでも釜山でもない地方に住んでいると、知り合いになる日本人は十中八九信者の方である。

 彼らは誠実で真面目な人が多い。特に90年代に行われた合同結婚式で、韓国に嫁いできた日本人女性に対する評価は韓国社会でも高い。ネットで知り合った右派活動家の男性は、自分の初恋は旧統一教会の日本人女性だったと語った。

 とある韓国人医師は「保健所勤務時代に診察した日本人女性は、とても礼儀正しかった。韓国人女性が嫌がって出て行くような田舎でもよくやっていた」と話す。

 これだけ多くの信者を集めてきた宗教である以上、その教えの中には人々を惹きつける理念や世界平和の理想が含まれているのだろう。筆者は決して彼らの信仰心を否定するつもりはない。信仰の自由は日本でも韓国でも憲法で認められているはずだ。

 しかし一方で、戦後日本に広がった自虐史観が、日本人の罪悪感を刺激し、その結果として献金が集められてきたという指摘は無視できない。そこでは信仰が、人の内面的な救済の問題というよりも、歴史的な贖罪を経済的に履行する仕組みとして機能していた側面もあったのではないか。

 筆者はこの構造を「贖罪の経済学」と呼びたい。贖罪という宗教的概念が、人々の良心を通じて献金という具体的な経済行為へと結びつく。贖罪という言葉は人の心を揺さぶるが、その結果として通帳の残高は確実に減っていく。そして、その資金は国境を越えて、誰かの懐へ流れていくのである。