9月3日に開催された抗日戦争勝利80周年記念式典(写真:AP/アフロ)
(金 興光:NK知識人連帯代表、脱北者)
天安門の望楼に立った金正恩の心境
2025年9月5日、北朝鮮の金正恩国務委員長は、2泊3日の中国訪問を終えて平壌に戻った。北朝鮮の労働新聞は9月3日、「金正恩同志が、2日午後に中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年記念行事に出席するため、専用列車で中華人民共和国の首都北京に到着した」と報じた。
今回の訪問は、金正恩委員長にとって特別な意味を持つものであっただろう。就任14年目にして初めて参加する大規模な多国間外交行事だったからである。
北朝鮮はこれを「世界が注目する歴史的事件」として宣伝しようとした。事実、労働新聞は金正恩院長が天安門の望楼に立ち、中国の習近平国家主席やロシアのウラジーミル・プーチン大統領と並んだことを大々的に報じている。
しかし、実態を見るとまったく異なる光景が見えてくる。労働新聞が伝える内容そのものが、今回の訪問の貧相さを逆説的に示している。
労働新聞は「伝統的友好関係の発展」や「戦略的意思疎通の強化」といった抽象的で空虚な表現を繰り返すだけで、具体的な成果には一切触れられていない。何より、首脳会談後に共同声明や合意文書の発表がなかったことは、今回の訪問が実質的な外交成果を伴わずに終わったことを明白に示している。
北朝鮮の置かれた現実を考えれば、今回の訪中は切迫した選択だったに違いない。国際制裁によって経済は破綻寸前で、内部的には不安要素が増大している。こうした状況で、中国の支援と国際的孤立からの脱却は国家の存亡に関わる問題だが、特にさしたる成果もないまま帰国の途についた。
多国間外交という試金石で露呈した無能さ
金正恩委員長は2011年12月、父・金正日氏が急逝したことで権力を継承した。当初は内部の権力固めに集中し、叔父の張成沢の粛清をはじめとする恐怖政治で権力を掌握した後、2018年から本格的な対外行動を開始した。
2018年3月に初めて中国を訪問したのを皮切りに、同年4月と9月には韓国の文在寅大統領(当時)と南北首脳会談を実施。6月には米国のドナルド・トランプ米大統領とのシンガポール会談、2019年2月には同じトランプ大統領とのハノイ会談、同年6月には板門店で文在寅大統領を交えてトランプ大統領と会談した。
もっとも、これらはすべて二国間会談である。
二国間会談の特徴は明確だ。事前に綿密に準備されたシナリオに沿って進行し、予期せぬ変数は最小化される。何より、世界の注目は両首脳に集中する。金正恩委員長はこうした環境で比較的安心感を覚えたはずだ。実際、トランプ大統領との会談では冗談を交わす余裕すら見せたこともあった。
しかし、多国間外交はまったく異なるゲームである。数多くの行為者が同時に相互に作用し、複雑な利害関係が絡む。公式日程だけでなく非公式交流も重要で、即興的対応能力が求められる。ネットワーキング能力、文化的感受性、語学力など多様なスキルが必要だ。
金正恩委員長は、こうした複雑な多国間外交の準備が全くできていなかった。北朝鮮は国際社会で徹底的に孤立しており、多国間外交の経験は極めて限られている。先々代の金日成氏は1961年に非同盟会議に出席したことはあるが、それ以降、北朝鮮の最高指導者が大規模な多国間行事に参加するのは今回が初めてである。