諸悪の根源は昭和二十二年教育基本法
現在の日本の教育は「履修主義」という考え方で構成されており、出席日数が大変重視されます。
授業を受けることが進級・卒業の要件で、部屋にいさえすれば極論、居眠りしていても単位がつく。
これに対して成績は、進級・卒業の要件とはされておらず、仮にどんなに成績が低くても、出席日数に問題がなければ、原則として進級できてしまう。
これを私は冒頭で「穴の開いたバケツ」と表現したのです。
第2次世界大戦後の日本の教育は、基本すべてこの「履修主義」で一貫しているため、小学校を卒業しても四則演算ができない、中学を出たはずなのに英語の1の1も分からない「卒業生」を組織だって量産してきた。
6-3-3で12年間、算数や数学を履修してきたはずなのに2次方程式もよく分からず、三角関数も微積分もちんぷんかんぷん。
中高の6年間、英語を学んできたはずなのに外国人観光客の初歩の質問に答えられなくて普通。
こういう現在の日本国の実態は、穴の開いた教育をしているのだから必然の結果なのです。
いつまで経ってもバケツがいっぱいになるわけがない。
かつて20世紀末年まで、私が地上波でテレビ番組を作っていた時、視聴者は「小学校5年を目安に」と指示されたものです。
それまで「日本人14歳説」という言葉は知っていましたが、学力に関しては「10~11歳」に年齢が引き下げられ、何と言うか、言葉もありませんでした。
こういう教育にしてしまったのは1947年、いまだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に「進駐」していた頃に作られた法律の「教育基本法」、つまり占領軍が敗戦国の教育をコントロールするのに導入した骨抜き政策の中心に「履修主義」があったと指摘する必要があります。
「履修主義」の反対は「習得主義」といいます。戦前の日本ではこの「習得主義」の考え方が敷かれていました。
これは文科省のお墨付きもついており、例えばこの資料にもあるように、習得主義を「課程主義」と呼んで、こう明記していました。
「課程主義」とは,義務教育制度における「義務」の完了を認定するに当たり、一定の教育課程の『習得』をもって義務教育は終了したとみなすものである。我が国の明治期から戦前にかけての義務教育はこの課程主義に属しており、例えば,「小学校令」(明治33年)においては、「尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス」と定められていた。
では、どうしてすべての国民が「尋常小学校ノ教科ヲ修了」する必要があったのか?
理由は明確で、国民皆兵という原則があったからです。