人民元にもユーロにも大きな欠点

 端的に言えば、キンドルバーガーが唱えた条件は今でも有効だ。また、ネットワーク外部性がグローバルな覇権通貨の登場と持続性を下支えするという指摘も、引き続き有効だ。

 全員が同じ通貨を使えば全員が恩恵を享受できるし、可能であればその後も全員が同じ通貨を使い続けるからだ。

 だが、もし覇権国が利用可能なあらゆる経済的攻撃手段(例えば金融制裁など)を利用して自分の思い通りに事を進めようとしたらどうなるだろうか。

 友好国に侵攻をほのめかしたり、友好国への侵攻を独裁者に促したりしたらどうなるか。

 自国の財政・金融の安定性や、経済的な成功を支える制度的な基盤を自ら損なったりしたらどうか。そして、その国の指導者が道徳観念に欠け、弱い者いじめをする人物だったらどうか。

 そうした場合は、国も個人も代わりがいないか検討することになる。

 難しいのは、ドルの覇権にどれほど不満があろうと、代役候補はそれ以上に見劣りすることだ。

 まず人民元は、中国との貿易に使うには最適な通貨かもしれない。だが、中国には資本規制があり、国内の資本市場の流動性は乏しい。

 もっと言えば、こうした特徴は政治・経済両面をコントロールするという中国共産党の戦略的優先事項の反映でもある。

 中国は経済的な威圧を用いる可能性も高いように思える。このため中国には、これまで米国が提供してきた流動性ある安全資産を提供することはできない。

 欧州のユーロには、人民元に見られるそのようなハンディキャップはない。そうであれば、少なくとも部分的にはドルの代わりになるのではないかとロンドン・ビジネス・スクールのイレーヌ・レイは指摘する。

 確かに、そうかもしれない。だが、ユーロにも欠点はある。

 ユーロ圏は政治同盟ではなく、どちらかと言えば主権国家のクラブであるため、まとまりに欠ける。

 またこの政治的なまとまりのなさは財政や経済のまとまりのなさにも表れており、イノベーションや経済成長の足かせになる。

 そして何より、欧州連合(EU)は覇権的な大国ではない。

 EUの魅力は今日のような最悪期の米国の魅力を上回るかもしれないが、全盛期の米国のそれには到底及ばない。

残された3つの選択肢

 したがって、我々の目の前には3つの選択肢が残る。

 それ以外のもの――例えば世界共通通貨、暗号資産に基づく世界など――は到底考えられない。

 第1の選択肢は、中国またはユーロ圏が変貌を遂げ、どちらかが覇権通貨の発行体として台頭すること。

 第2は、2、3種類の通貨が異なる地域でそれぞれに支配的な地位を築き、互いに競い合う世界になることだ。

 だが、ネットワーク効果のために利用者が1つの通貨から別の通貨に急に乗り換えることから、このような世界では不安定な均衡が生じるだろう。

 過去100年間のどの時期よりも、1920年代や1930年代に似た様相を呈することになる。

 そして第3の選択肢は、ドルの覇権の継続だ。

 その場合、ドルの覇権はどのような種類のものになるのだろうか。信頼できる米国が戻ってくるのが理想ではあるが、米国内外でいま加えられている打撃を見る限り、それは理想にとどまる公算が大きい。

 盲目の人たちの王国では、片目が見える人が王様だ。

 同様に、質の高い代役がいない状況では、既存の基軸通貨がその欠陥にもかかわらずマネーの世界を支配し続けるのかもしれない。

 トランプはそのような世界を好む。それ以外の大半の人は好まない。

(文中敬称略)

By Martin Wolf
 
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