バリエーションはいろいろある。
キャップも野球帽から簡単なもの、シャツもTシャツか、柄シャツか、ポロシャツか、さまざま。ふつうのズボンやジーパンもある。
スニーカーもブランドものから、廉価なものまで。冬の上着は、ダウンジャケットから防寒コートまで。キャップの上からヘッドフォンをし、首には毛糸の襟巻をしたしゃれ者じいさんもいる。
あのキャップ姿は、ゴルフ中継やなにかでよく見るアメリカ人のおっさんの真似ではないかと考えてみたが、わからない。
ユニクロの安価な日常服が普及定着したことと関係あるのかわからないが、わたしはこのキャップ&スニーカーじいさんをユニクロ老人と呼ぶことにした。
全然裏付けはない。ただの感覚である。
全共闘の流れか、ノンポリのなれの果てか
現代の老人たちの多くは、いってみれば団塊老人である。
2024年度、65歳以上の人口は3620万で、総人口の約29パーセントを占める。日本のほぼ10人に3人は高齢者だといっていい。
かれらの多くは服装に金をかけるのは、根本的にばかばかしい、と思っている。基本的にユニクロで十分なのだ。
ただそのなかでも、それぞれに好みがあって、わたしが好きなのは柄も色もシンプルなものだ。その意味で、わたしはここ1、2年のあいだにユニクロ派からワークマン派になった。
とくに上着の形が趣味にあうのである。ワークマンは細かいところの作りは雑だが、とくに文句はない。
考えてみるとあのユニクロ老人の恰好は、1970年前後の昔、ヘルメットにジーパン、手ぬぐいで顔を隠した姿でデモに参加していた全共闘ファッションの流れを汲むものではないのかという気がした。
しかしあんな風体で町をぶらつく気楽さ加減は、むしろノンポリの成れの果ての格好といったほうが近いと思えた。徹底的なノンポリだったわたし自身を振りかえってみてもわかることだ。
いまに残る全共闘の一部の系譜は、おなじような恰好をしてはいるが、行動が違う。かれらはじいさんやばあさんになっても、駅前あたりでマイクをもったり、チラシを配ったりしているのである。