細かく分類すれば、現代では様々なじいさんが存在する。
ごついヘッドセットを着け、でかいスニーカーを履いていたヒップホップじいさんを見かけた。あと、入れ墨を入れ、サングラスをした強面じじいも見たことがある。
しかし、もうどんなじいさんを見ても、やっぱりこんなじいさんもいるんだと一瞬思うだけで、もはやなんとも思わなくなった。
ユニクロ老人は一世代以前のじいさんと比べると、見た目だけでなく、生活様式もすっかり様変わりしてしまった。
最大の違いは、パソコンを使い、スマホに馴染み、SNSを利用していることだ。さらに、長寿世界一を経験し、「人生100年時代」という意識を刷り込まれ、生意気にもグルメを知り、いまや全世代のなかで一番裕福な世代になっている。
けれど、そんな現代のじいさんの価値観は、個人主義である。文明の利器を使い、生活が豊かになっても、昔より人間が成長しているかというと、なんの保証もないのである。
かつての江戸・明治の日本にいたと思われる正しいじいさんからみれば、われらユニクロ老人は(レオン老人も)、ただの見かけ倒しではないかという気がしてしまう。
ところで、キャップを被っているおばあさんをほとんど見ない。むしろ若い女性に多いが、彼女たちのキャップ姿はスポーティで好ましい。
現代のおばあさんは、じいさんのようにはっきりと目に見える特徴がない。わたしにはどうもおばあさんの生態がわからない。
しかし彼女たちにとって、目に見えるはっきりした特徴などどうでもよさそうだ。
現代のおばあさんたちは、『婦人公論』ばあさん、推し活ばあさん、YouTubeばあさん、フラダンスばあさんなどと、ユニクロじじいなど足元にも及ばないほど、自由活発なのだという気がしないでもないのである。