2001年9月11日の米国同時多発テロを主導し「史上最悪のテロリスト」と呼ばれたオサマ・ビン・ラディン容疑者が、パキスタンの首都イスラマバードの北50キロほどにあるアボタバードの邸宅で、米国海軍特殊部隊ネイビーシールズの手により殺害された。
何の取り調べもなく殺害されたオサマ・ビン・ラディン
10年近くもの間、恐らく世界で一番有名な指名手配犯でありながら全く居場所が分からず謎だらけだった男がついに見つかったわけだが、丸腰だったにもかかわらず、何の取り調べも受けないうちにあっさり殺害されてしまった。
長い間、大ニュースになることもなかったため、唐突な印象も残るが、多くの人は近年、『Where in the world is Osama Bin Laden?(一体全体オサマ・ビン・ラディンはどこにいるんだ)』(邦題 「ビン・ラディンを探せ!」)(2008)と思っていたに違いない。
そんな我々の気持ちを汲んで(?)ビン・ラディンを探しに出かけたのが、自らを実験台とする記録映画で人気のモーガン・スパーロック監督。
今やビン・ラディンの後継者と目されているアイマン・ザワヒリの故郷エジプトに始まり、モロッコ、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビアを経てアフガニスタンに至る過程で、米国人というより米国政府に対しイスラム教徒が敵対心を持っていることを痛感することになる。
そんなスパーロックが最後に向かったのが、当時潜伏先と考えられていたパキスタンのアフガニスタンとの国境地帯。結局外国人は立ち入り禁止ということで探索行は打ち切りとなるのだが、現実の潜伏先は住宅街の真ん中だったというわけだ。
パシュトゥン人の国
アボタバードはパキスタン北部カイバル・パクトゥンクワ州にある地方都市。そんな地の軍人たちが数多く住む住宅街で誰にも知られず潜伏していたということには、不自然さを禁じ得ない。
もっとも、タリバンとICI(パキスタン軍情報機関)との間には太いパイプがあるのは周知の事実だから、「やっぱり」と思った方も多いのではないだろうか。
アフガニスタンとは、ペルシャ語やダリー語で「パシュトゥン人の国」という意味である。そして、タリバンの多数を占めるのがそのパシュトゥン人。
国境を越えたパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州はトライバルエリアとともに、パシュトゥン人が数多く住む地域で、実際、街を歩けば、服装や髭の蓄え方などから、パシュトゥン人、そしてタリバンをも思わせるような人々とごく普通に出くわす。