- 「国立大学の学費を150万円に上げるべきだ」──。中央教育審議会・特別部会での慶応義塾長・伊藤公平委員の提言が波紋を呼んでいる。
- 国立大学が大学運営費交付金を1人当たり年平均230万円受け取っている状況が不健全な競争環境を生んでいるとの認識が発言の背景にある。
- 教育ジャーナリストの後藤健夫氏は「学生1人に300万円かかる」という伊藤委員の試算は妥当としつつ、交付金の配分方法の見直しが必要だと指摘する。(インタビュー後編)
湯浅大輝(フリージャーナリスト)
■国立大学費150万円にすべき?後藤健夫氏インタビュー
(前編)慶大塾長は文科省に言わされた?支出減らしたい財務省、私大は「不当廉売」と不満
(後編)東大生の親の4割は年収1000万円超、給付型奨学金とセットで交付金見直しを
給付型奨学金とセットで考えるべき
──伊藤委員は「高度な大学教育を実施するには学生1人あたり300万円の収入が必要だ。年平均約230万円の交付金をもらっている現状は、受益者負担の原則を考えたときに正しい姿とは言えない」とも発言しています。本当に、それくらいのお金が必要なのですか?
後藤:大学教育にはお金がかかるのです。300万円は妥当だと思います。さらに、今は一方的な知識伝達の授業ではなく、学生相互のディスカッションやグループワークを重視した教育に転換しており授業のサイズが小さくなり、昔のように大教室に人を集めての授業もできなくなってきました。
かつてマンモス授業を揶揄された大学もいまや50人以下の教室が8割を占めるようになりました。こうなるとおのずと開講する授業数が増えて人件費も上がります。これまで300人で実施していた授業が100人になれば人件費は3倍です。
それに応じて昨今高くなった光熱費もさらに増える構図です。それらを払うためには学生1人当たり300万円でも足りないぐらいではないでしょうか。
ただ、「受益者負担の原則」はちょっと強い言葉かなと私は感じました。というのは、大学は教育機関であり「サービスを提供する場所」ではないからです。
現実的には今の大学は国公立・私立含め多くが就職予備校化しているのが実態です。それでも、受益者として享受できるサービス面ばかりを強調してしまうと、今よりももっと有名企業への就職などといった結果だけを親が期待することにつながりかねません。
大学に教育機関としての矜持を持たせる上でも、「受益者」という言葉が適当であるかは再考の余地があるでしょう。
──国立大運営交付金は、どのように配分すべきだと考えていますか?