戦後の日本のアート界は、「お金を追わず、理想や個性を表現するアーティスト」、個性と感性を大切にする美術教育、という一般社会から隔絶された「聖域」を守ってきた。そして戦後からずっと、西洋の価値観を模倣することが続いている。

 昭和の慣習やシステムは、経済、産業界を長年停滞させてきたが、実は、文化芸術の世界にこそ旧態依然とした「聖域」は根強く、日本独自のイノベーションを阻んでいるという、同じ状況がある。

《尾形光琳の花》(2023−2024)展示風景©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

「敗戦国」「被爆国」を逆手に、アメリカで成功

 村上が成功を収めたニューヨークの現代アートの世界は、富裕な白人エリートに占められていた、ビジネスの中でも最も参入障壁が高い領域だった。

 そこで勝つための村上の戦略は周到だった。平坦さが特徴の日本絵画を「スーパーフラット」という言葉で理論化し、日本のアニメやオタク文化、「かわいい」文化を、アートの文脈にのせてプレゼンテーションした。

 2005年、ニューヨーク・ジャパン・ソサエティでの展覧会「Little Boy」のメインビジュアルには、青空をバックに、キャラ化された原爆のキノコ雲、笑顔のお花がある。Little Boyは、広島に投下された原爆の通称だ。「かわいい」ビジュアルの裏に、被爆国、マイノリティである日本人が仕掛けた毒がある。

 これが、スノッブなアート業界人の心を射ぬいた。展覧会は全米批評家連盟によるベスト展覧会賞を受賞した。