信長が死んだとなれば、天下の行方いかんにかかわらず、織田帝国の空中分解は避けられない。だとしたら秀吉としては、まずは自力での生き残りを図らねばならない。ここは宇喜多を捨て石にしてでも、ただちに退却して全軍を姫路に集結させる、というのが正しい判断だ。光秀やら天下やらに、どう対応するかなどというのは、その先にある問題でしかない。

姫路城に残る秀吉時代の石垣。城は関ヶ原の合戦後に入った池田輝政によって現在見るような姿に整えられたが、部分的に秀吉時代の石垣も残っている。撮影/西股 総生

 何か想定外の突発事態が起きたら、まずは情報収集と事実確認につとめ、冷静に間違いのない判断を・・・などというのは、平和な人間の発想である。そんな悠長なことをいっていたら生き残れないのが、非常時であり、戦国乱世なのだ。

 情報不足で(ないしは情報が錯綜して)事実が確認できないからこそ、すばやく決断を下し、少しでも生き残る確率が高い方へ、ためらうことなく全力で動く。それが、乱世を生きる戦国武将たちの危機管理術だったのだ。