中国大返しに見る戦国武将の危機管理術 1 2 3 天下取りではない、秀吉の中国大返しの真の目的とは 中国大返しに見る戦国武将の危機管理術(後編)【JBpressセレクション】 2024.3.23(土) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア5 Tweet この写真の記事へ戻る 本能寺跡。明智光秀はここに織田信長を襲ったものの、焼け跡から信長の遺体は見つからなかった。撮影/西股 総生 現在の本能寺は事件の現場から少し離れた場所にある。写真は境内に立つ信長の供養塔。 撮影/西股 総生 備中高松城跡。秀吉軍は城を囲むようにバリケードや堤を築き、毛利軍と連絡ができないよう完全封鎖した。撮影/西股 総生 姫路城に残る秀吉時代の石垣。城は関ヶ原の合戦後に入った池田輝政によって現在見るような姿に整えられたが、部分的に秀吉時代の石垣も残っている。撮影/西股 総生