川中島古戦場跡(八幡原史跡公園)にある、上杉謙信と武田信玄像

JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2021年9月22日)※内容は掲載当時のものです。

 「歴史を学んでいくと、目の前の出来事を根本的に解決しようとした結果、偶然か必然か生まれるイノベーションが多くて、ここに驚くんです」

 歴史家の乃至政彦氏は、上杉謙信が起こしたイノベーションをそう分析する。

 歴史と経営、ビジネスそして生き方。

 何がどうつながり、生かされるのか。『世界標準の経営理論』などベストセラーを刊行し、経営学の理論をわかりやすく紹介する早稲田大学の入山章栄教授とともに「歴史から得る学び」を丁寧に分解する。

戦国時代のイノベーションはどう生まれたか

──経営学において「競争」はキーワードの一つになっていると思います。ベストセラーとなった入山先生の著書『世界標準の経営理論』でも、優位性、つまりその業界で勝ち続けるためには、競争が必要だという学説もご紹介されています。ややこじつけになりますが、謙信も戦(いくさ)をたくさんしているわけですが、そこに優位性やイノベーティブな側面があったのでしょうか。

入山章栄(以下、入山) そうですね。競争ももちろんですが、謙信の優位性は「学習」にあったと思います。

入山章栄(いりやま・あきえ)慶應義塾大学大学院修了。三菱総合研究所に入社後、2008年に米ピッツバーグ大経営大学院にてPh.D.取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。13年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授、19年より同教授

 謙信が武田信玄を川中島の戦いで攻撃する時の戦術って、村上義清から学んだものですよね。

 イノベーションって「学習」からしか起こらないので、学習し続けることがものすごく重要です。講演をする時はいつも「いい経営者は学習し続けているんです」と話しています。

 以前、ヒストリーチャンネルで東大の本郷和人先生と「合戦前夜」という歴史番組をやっていました。

 その時に「信長スティーブ・ジョブズ論」と題して、素人ながら、信長は色々なところから情報を吸収して試していた人物なのだと理解し、解説させてもらいました。

 信長と同じように謙信も戦(いくさ)をする中で学習していく部分があったんじゃないでしょうか。そして、学んだらそれをやり抜く。これは現代のビジネスに通ずるものがあると思います。

乃至政彦(以下、乃至) おっしゃっていただいた川中島の戦いの中で、謙信のイノベーションについてのおもしろい話があります。

乃至政彦(ないし・まさひこ)歴史家。1974年生まれ。著書に『謙信越山』(JBpressBOOKS)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中

 まず、謙信のライバルである武田信玄は、全国に軍隊の制度がないことに気づいて、日本でお手本になる軍法・軍制を築けば、日本の軍制も変わると考えていました。

 一方で謙信は、武田が普遍的な軍制を作ろうとしているなら、自分たちも作る必要があると考えていた。そこに逃げ込んできた村上義清が、「こういうやり方で信玄をやりこめた」と話をした。それを聞いた謙信が、自分たちでもできるように汎用性を持たせ、新しい軍制を作ったんです。

 ここからが非常におもしろくて、日本の軍隊の制度のほとんどがこの上杉謙信のものになってしまうんです。例えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時も同じ戦い方で、ものすごい戦果を上げています。

 加えて、その戦い方に朝鮮の知識人がびっくりして、「日本と同じ軍制をやらなければいけない」と語ったことが記録に書かれている。村上義清のアイデアがイノベーションのきっかけとなって、海外の軍制までを変えているんです。

入山 へえ! 海外にまで影響したんですか。村上義清や謙信はどうしてイノベーションを起こせたとお考えですか。

乃至 決してイノベーションを起こそうという明確な動機があったわけじゃなく、目の前の「具体的な勝利を得るための行動」が、いつの間にか広がっていったんだと考えています。

 歴史を学んでいくと、目の前の出来事を根本的に解決しようとした結果、偶然か必然か生まれるイノベーションが多くて、ここに驚くんですよね。