「いよいよ出漁します」。はずんだ声で、宮城県石巻市にある鈴木漁業の鈴木廣志さんが電話をかけてきた。

 鈴木さんは沖合底引き網船「龍神丸」の船主で、宮城県の沖合底引き網漁協の組合長でもある。東日本大震災では、津波で事務所を失ったものの、船は沖に出て無事だった。組合の13隻も難を逃れ、出漁のサインを待っていたのだ。

 ただ、いつもなら石巻漁港から出漁し、この港に水揚げをするのだが、石巻漁港も魚市場も震災で大きな被害を受けたため5月7日早朝に同県塩釜港からの出港となり、8日夕に同港に戻った。そして9日未明に、キチジ(キンキ)、イラコアナゴ、サメガレイ、タラなどを塩釜魚市場に水揚げした。

 「ご祝儀相場で、値はよかったが、漁はいつもの3分の1だった」と鈴木さん。「ずっと休漁していたのに、船頭によると魚影はほとんどなかったようで、やはり地震の影響だろうか」と言う。

 漁場は宮城県沖50キロの距離だったが、アルバムとバッグを網が拾ったという。バッグの持ち主は岩手県釜石市の人のものだったそうで、ずいぶんと流されてきたことになる。切ない話だ。

 出漁は明るいニュースとはいえ、沿岸の漁業者の多くは船を失った上、がれきの処理などで、5月いっぱいの出漁は難しいという。

 一方、受け入れる漁港も魚市場もまだ少ない。宮城県最大の石巻魚市場は、被害の少なかった岸壁を利用した「青空市」で6月には魚市場を再開したいとしているが、鮮魚の品質を保つ製氷工場が被害を受けている。また、道路の陥没がひどく、トラックを寄せるのが難しいなどまだまだ課題は残る。

工場のがれき処理に手が回らない水産加工業者

 石巻魚市場の背後にあった水産加工団地は津波で全滅し、まだ、がれきの処理も進んでいない状態だ。ここに工場を持っていた100社を超える加工業者が生産を再開するには、1年以上かかりそうだ。