(花園 祐:中国・上海在住ジャーナリスト)
7世紀から9世紀にかけて中国を支配した唐は、阿倍仲麻呂をはじめとする遣唐使が派遣されるなど、日本にとってもなじみ深い王朝です。唐代は、中国史上唯一の女帝である則天武后(そくてんぶこう)が即位するなど、他の時代に比べて女性政治家が大きく活躍した時代でもありました。
そうした女性政治家の1人に、唐の皇帝と則天武后の娘、太平公主(たいへいこうしゅ、665~713年)という人物がいます。今回は、母親に負けず劣らずの才知でその名を馳せた、この中国の皇女について紹介します。
中国史上最強の女性の遍歴
まず、太平公主の母であり、中国史上最強の女性とも名高い則天武后について簡単に紹介しましょう。
則天武后は唐代の貴族出身の女性で、長じて唐の2代目皇帝である太宗の妃として後宮に入りました。
太宗の時代、則天武后は後宮にいる妃の1人に過ぎませんでしたが、太宗の存命中からその後継者である3代目皇帝の高宗に見初められたことで、彼女の運命は大きく切り開かれることとなりました。