(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授)
2000年前後の話だが、済州(さいしゅう、チェジュ)島は韓国で新婚旅行のメッカだった。その一方で、かつては苦難の歴史を歩んだという話は耳にしていた。
でも、当時はなかなか興味が湧かなかった。ただ一つ挙げるとすれば、「沖縄に似ているのかな?」という程度だった。それだから、今は学習院大学教授で民俗学者の赤坂憲雄氏から「岡本太郎は済州島を訪ねたことがあるんだよ」と聞いた時は、「へぇ」と合点がいった。
太郎は沖縄に入れ込んだ。それについてはここで細かく触れることはできないが、沖縄の久高島で「イザイホー」という祭礼を見て、神秘の場に立ち会った。それを記した「沖縄文化論」を発表した4年後の1964年、太郎は韓国取材の終わりに済州島を旅した。その足取りをたどっているうちに、私はいつしか済州島を沖縄と重ねるようになっていったのだ。
流刑の地だった済州島
先日、筆者が勤める大学の同じ学科の同僚たちと、その済州島に行ってきた。