ウクライナのゼレンスキー大統領(写真:ロイター/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 臨月だった妻が突然、産気づいた。ウクライナのある街でのことだ。いっしょに自宅にいた夫は、医者を呼びに家を飛び出した。慌てたことだろう。同時に子どもが生まれてくる喜びも、彼を急かせたことだろう。妻とまだ見ぬ子どものことで頭がいっぱいだったはずだ。玄関ドアを開けて、外に出た。そのわずかあとの出来事だった。夫はロシア兵に狙撃されて絶命した。

 それから妻は無事に子どもを生んだ。だが、その子の誕生日は父親の命日になった。父親が子どもの顔をみることも、子どもが父親に抱かれることもなかった。

 それにウクライナの首都キーウの周辺の小さな街でのことだ。家の前に子どもを含む家族全員が並べられると、その場で銃殺された。キーウ防衛隊に入った男性が見たと母親に伝えてきた。

飛び交う「憶測」、「伝聞」は事実なのか

 ウクライナ東部の街では、1歳以上の子どもが集められると、ロシア軍によってどこかに連れ去られてしまった。「民族浄化」が行われているのではないか、という憶測が地元でにわかに広がっている。

 いずれも、ロシアがウクライナに侵攻したあとに、私が知り得た情報だ。通信網が完全に遮断されることもなく、国内外に向けて情報が発信されている。だが、私はあえて書いてこなかった。どれも伝聞情報だからだ。直接見たものでもなければ、ウラ取りもできず、信憑性に欠ける。それも人命にかかわることならば、いたずらに報じるべきものでもない。伝聞情報を私に伝える側も信頼性に疑問の余地を残していた。

 ただ、ロシア軍がキーウ周辺から撤退したあとの惨状が映像といっしょに大きく報じられるにつれ、これらの情報もまことしやかに思えてくる。