(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
頼朝の父・義朝や弟の義経も?
『鎌倉殿の13人』が描く頼朝は、どうにも女好き。そんな女好きの頼朝を大泉洋さんが巧みに演じていて、ちょっとコミカルです。ただ、頼朝があちこちの女性に手を出していたのは、各種の記録で確認できる史実なので、別に三谷幸喜さんが面白おかしく創作しているわけではありません。
そこで今回は、頼朝の女好き問題について考えてみましょう。一言お断りしておきますが、これから書く話は、あくまでも800年前のことです。現代人の感覚や道徳観で善し悪しを判断できるものでないことは、ご承知おき下さい。
少し前の回で、頼朝のもとに弟たちが集まってきたとき、皆それぞれ母が違うという話をしていましたね。頼朝の母は熱田大宮司の娘ですが、範頼の母は遠江の遊女。全成と義経の母である常磐御前は、貴族に仕える女中のような身分の人でした。つまり、範頼の母と常磐は、〝手を出した〟系の女性。頼朝らの父である義朝は、他にも何人かに手を出していたようです。
それから、木曽義仲と共に戦う巴御前も、正妻ではなく彼女です。この先、ドラマでも描かれることになりますが、義経も戦いで活躍するとモテモテになって、正妻のほかに京で静御前という美形彼女をこしらえます。
おわかりでしょうか? 別に頼朝だけが女好きだったわけではなく、皆さんそれぞれにお盛んだったのです。これは源氏の一族にかぎりません。平家の皆さんだって、キャラによる個人差はありますが、おおむねお盛んです。あちこち手を出して、いろいろなキャラの子供をたくさん作ったからこそ、一族を繁栄させることができたのです。
関東の武士たちだって、系譜をたどれば平安中期の平将門の一族や、将門と対立した藤原秀郷、源経基あたりに行き着きます。つまり、将門一族や秀郷・経基といった人たちが、関東一円にタネをバラ撒いたからこそ、武士の家々が成立していったのです。
どうやら、勝ち組としてタネをバラ撒くのは、武家の棟梁としての務めといってよさそうです。というよりむしろ、女好きのDNAを代々受け継いだからこそ、伊勢平氏や河内源氏は武家の棟梁になれた、と考えた方がよいかもしれません。
それに、現代のわれわれが持っている恋愛観・男女観は、明治以降に西洋から入ってきた価値観に大きく影響されていますが、昔の男女関係はずっとプリミティブで早熟です。ただ、そんな中世の恋愛観・男女観をそのまま再現しても、現代人が共感できるドラマにはなりません。ゆえに〝女好きの佐殿〟のようなコミカルなキャラ設定が必要になるのです。
史実に基づいて考えるなら、むしろ頼朝は控えめだったというべきでしょう。史料や系図によるかぎり、政子以外の女性との間に子を残していないのですから。この問題は、よく考えると、鎌倉幕府の行く末とも深く関わってくるのですが、今はひとまずドラマの展開を楽しみましょう。
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