米長邦雄 写真提供/田丸 昇

(田丸 昇:棋士)

一人の女性として、波乱万丈の人生を送る

 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが11月9日、心不全のために99歳で死去した。

 寂聴さんは人気作家として、400冊以上の作品を発表した。

 岡本かの子、伊藤野枝の伝記小説『かの子撩乱』『美は乱調にあり』、ポルノ小説と批判された『花芯』、自身の恋愛経験を基にした『夏の終り』など、衝撃的な作品を出した一方で、本格的な作品にも取り組んだ。一遍上人の人生を描いた『花に問え』、現代語訳の『源氏物語』などの作品で文学賞を受賞した。

 寂聴さんは一人の女性として、波乱万丈の人生を送った。

 24歳のときに夫のかつての教え子と恋に落ち、2年後に夫と3歳の長女を棄てて家を出た。その後も、年上の男性や妻子ある作家との不倫など、恋多き女として生きた。

 51歳だった1973年(昭和48)には、作家で中尊寺(岩手県)貫首の今東光さんを師僧として、天台宗で得度して「寂聴」と名乗った。翌年には京都・嵯峨野に寂庵を開いた。住職を務めた天台寺(岩手県)や寂庵で、晩年まで法話を語り続け、相談に来た人たちに仏の教えを分かりやすく説いた。

 社会的な問題にも関心を持った。湾岸戦争やイラク戦争に反対し、安全保障法制に抗議する集会に93歳の高齢で参加した。

2012年07月16日、代々木公園に17万が参加した集会にて「原発反対」を叫ぶ瀬戸内寂聴さん 写真/Natsuki Sakai/アフロ

米長邦雄との交流

 寂聴さんは棋士の米長邦雄・永世棋聖(2012年に69歳で死去)と交流があった。そのきっかけは、将棋を愛好した作家の井上光晴さんの紹介による。

 米長は、タイトル戦の対局の観戦記をよく書いた井上さんと親しかった。ある対局の合間に、次のような会話をした。 

「小説の人間が勝手に動き出したら、どうやってなだめますか」「僕はなだめたりしません。勝手にやれと」「僕でも小説を書けますかね」「書けますよ」「書けるとすればポルノぐらいかな」

 最初の「僕は」井上さん、次の「僕」は米長。

 米長はタイトル戦で「矢倉」の将棋を指し続け、「矢倉は将棋の純文学」だと唱えていた。井上さんに勧められて、純文学小説を書いてみたいと、本気で思った時期もあった。