歴史を通して現在と未来の知恵を学ぶ──。それが、私たちが歴史を重視する理由だ。しかし、歴史の必要な部分のみを取捨選択して合理化する歴史歪曲の悪弊がある。韓国と北朝鮮は一つの歴史を受け継いできた民族だが、分断から半世紀以上が過ぎた今、歴史に対する見方は全く違っている。
純粋に歴史を見るのではなく、現実的な要求によって自分たちに必要な歴史だけを取捨選択し、都合のいい歴史観を形成する。このような例は「張吉山」と「死六臣」をめぐって行われた南北交流ドラマの制作過程からも窺える。
(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)
(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)
2007年8月8日から11月1日まで、韓国のKBS 2TVで史上初の南北交流ドラマ「死六臣(サユクシン)」が放映された。韓国公共放送KBSが創立特集として意欲的に準備した南北交流ドラマだったが、ゴールデンタイムに平均2-3%の低調な視聴率を記録して幕を閉じた。南北政府レベルで行われた事業で、少なくない資金が投入されたドラマの結果は惨憺たるものだった。
普通のドラマなら早期終了するところだが、南北共同制作ドラマという象徴性から24話まですべて放映された。「死六臣」が失敗した理由は何なのか。
韓国側は、南北合作ドラマを企画した際、韓国の作家・黃晳暎(ファン・ソクヨン)の歴史小説『張吉山(チャン・ギルサン)』を提案した。張吉山は朝鮮時代後期、黄海道地域で活動した義賊である。
黃晳暎の『張吉山』は1974年、韓国日報に歴史大河小説として連載されたこともあって人気が高く、韓国側は北朝鮮の黄海道地域で活動した義賊・張吉山を題材に南北合作ドラマを作ることを提案した。
北朝鮮のドラマ制作の実務者も大方、賛成の立場だったが、上級機関である中央党宣伝扇動部と国家保衛部の介入で状況が変わった。「張吉山」ではなく、「死六臣」を題材とする南北合作ドラマの制作を逆提案したのだ。「死六臣」は朝鮮第6代王の端宗が叔父の世祖によって廃位された後、端宗を復位させるために命を捧げた6人の臣下の話である。