(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
ついに中国のイライラが限界に達したのか、6月25日、中国国防部が「(台湾の)独立は行き詰まりであり、戦争を意味する」と言明した。真に受けることはないのかもしれないが、「戦争」という言葉を使ったのははじめてではないか。
ここ数年、米台の人的交流・軍事連携強化や、国際組織への台湾の参加気運、日米豪印の「QUAD」、EUやG7で中国による挑発的行為への懸念が示されるなどの動きにより、中国の焦燥感は最高に高まっていると思われる。中国はG7の声明に即座に反応して、戦闘機や爆撃機28機を台湾の防空識別圏内に侵入させた。
「起こらない」とは誰にも言えない台湾有事
台湾の呉外相は米国CNNテレビのインタビューで「中国政府は武力の使用を放棄するつもりはなく、台湾周辺で軍事訓練を行う際、われわれはそれ(武力の使用)を本物だとみなさなければならない」と語った。今年や来年ということはないだろうが、台湾有事という可能性は皆無ではなくなったのである。米インド太平洋軍のデービッドソン司令官は今年の3月、米上院軍事委員会の公聴会で「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と語った。6年後の2027年は、中国人民解放軍創設100周年に当たる年である。
台湾有事の場合、日本は当然米台と連携して応分の役割を分担することになる。あるいはまた、それ以前か以後かはわからないが、中国が尖閣諸島に侵攻したときどうするつもりなのか。
だれもそんなことあるはずがない、とはいえない。いずれにしても、事を起こすか否かは中国の胸先三寸にかかっている。ただ中国は尖閣に侵攻するときの言い訳(正当化)の布石はすでに打っている。何度となく領海侵犯をしても、尖閣は自分たちの領土だと抗弁していることだ。
この正当性はだれも認めていないが、そんなことはどうでもいいのだ。主張すればいいのである。だがかれらがこの正当化をインチキだと思っていることは、何日、何十日いようと、結局領海から出ていくことでわかる。しかし厄介なことは、双方の正当性が衝突するとき、どちらの正当性が正しいのか、証明できないことにある。またたとえ、国際機関が裁定を下しても、そんなものはただの紙切れだと無視してしまえば、それ以上手の打ちようがないのである。
問題は中国が実際に尖閣に侵攻してきたとき、日本はなにができるのか、ということだ。新型コロナ騒ぎにおける、マスク不足(その対策がアベノマスクとは恐れ入った)、緊急事態宣言のドタバタ騒ぎ、補償問題の杜撰さ、後手後手のワクチン調達、IOCに鼻づらを引きまわされた五輪開催などの無様さを見ていると、有事に際して、気迫的にも能力的にも、迅速で適切な対応が取れるとは到底思えないのである。