(文:伊藤俊幸)
今年4月、インドネシア海軍の潜水艦「ナンガラ」がバリ島沖で沈没し、乗員53名全員が死亡した。悲劇の背景にある“水面下の軍拡競争”と、この事故で浮き彫りになった日本の安全保障戦略上の課題について、自身も潜水艦乗りだった元海将が解説する。
現状で「ナンガラ」の沈没原因は不明だが、同艦が1981年に就役した老齢艦であると知り、率直に「私なら乗りたくないな」と思った。81年といえば筆者が海上自衛隊に入隊した年で、すでに40年前だ。その頃の海自の潜水艦隊は16隻体制、現在は22隻体制となっている。日本では毎年1隻、三菱重工と川崎重工が交替で新しい潜水艦を建造し、かわりに最も古い1隻が退役する仕組みになっている。つまり、日本の潜水艦はどんなに古くても20年前後で引退するのである。
海自の水上艦の平均使用年数は30年以上だから、潜水艦を20年でスクラップにするのはもったいないという声もある。しかし、それは水圧の恐ろしさを知らない人たちの意見だ。水圧は水深に比例するので、潜水艦と水上艦とでは船体への負荷がまったく異なる。水圧がかかると、鉄でできた船体は圧縮と膨張を繰り返す。針金を何度も曲げたり伸ばしたりすると最後は折れてしまうように、船体も応力を繰り返し受けることで金属疲労により脆くなる。
「ナンガラ」は2010年から2年をかけて韓国で改良工事を施され、安全潜航深度が240メートルから257メートルに向上したという。とはいえ、船体そのものが老朽化しているため、本当にスペック通りの能力を有していたのか定かではない。
東南アジア諸国が潜水艦獲得に血眼になる理由
なぜインドネシア海軍は、こんなに古い艦を使い続けていたのか。それを理解する前にまず知っておくべきは、潜水艦が極めて高度な「戦略兵器」であるということだ。これは核抑止戦略の一翼を担う原子力潜水艦に限った話ではない。
現代ではレーダー技術が飛躍的に進歩し、海上や空中に存在するものはたいていレーダーで捕捉できる。これは電波の超高速性と直進性によるもので、同時にミサイル自体の技術も進化しているため、敵の弾道ミサイルを発射と同時に探知して迎撃ミサイルで防御する、というようなことも可能になっている。しかし、電波が届かない水中では、音波に頼るしかない。音波は電波より遅い上に、水温が変化するとそこで屈折してしまう。ソーナーで水中の敵を探知しても、表示上は右15度にいるはずの標的が実際は右13度にいた、ということは頻繁にある。水中の潜水艦を発見することは、最新の軍事技術をもってしても極めて難しい。
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