国が個人情報を把握するのは福祉国家なら当たり前

 かつての自由主義思想が主流の時代には、国家は、国民のために最小限のことしかすべきではないと考えられていた。夜警国家の思想である。その時代には、国民は、国家による干渉、介入されないことを望んでいた。

 それに対し、20世紀後半から始まった福祉国家の時代には、国家は国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障する義務を負い、国民はそれを受給する権利を憲法によって保障されるようになった。

 置かれている状況がそれぞれ異なる国民に対して、必要な福祉サービスを提供しようとするならば、政府は国民一人ひとりについて詳細な個人情報を収集し、保有していなければならない。このような行政サービスの提供は、戦後福祉国家となったわが国でも行われている。ただし、それは基本的に紙に記された記録を公務員が、人手によって照合確認するという方法で実施しているといってよい。

 もちろん現在では、多くがデジタル化されているが、それは紙のやり方をそのまま置き換えたものに近く、その役所の中でしか利用できず、他の組織の情報と照合するには、プリントアウトして公印を押して交付し、それを受け取った組織で改めて入力するというようなことが行われている。コンビニでの住民票の写しの交付などはその最たる例だ。それでは、行政機関も国民も手間暇がかかるし、情報を処理する過程でミスや悪用を防ぐことも難しい。

 他方、IT先進国では、国民一人ひとり固有のIDでデータを紐付け、自動的に確認する仕組みが採用されている。コロナ禍で被った損失の補塡にしても、マイナンバーを介して税と銀行口座とが連動していれば、年収や生活の状態、対象者の属性に応じて給付の可否や額を、公正、迅速に決定でき、即座に口座に振り込むことができたはずだ。

 デジタル化は、高度に発展した福祉国家において、公正、迅速、正確に、国民にサービスを提供するために進められており、その前提として詳細な国民の個人情報が活用されている。