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(篠原 信:農業研究者)

 イノベーションというと、既成概念を破壊しろ、とか、旧態依然たる古い考えから脱却せよ、ととても鼻息の荒い掛け声を目にする。向こう気の強い人ならば、そうしたこともできるかもしれない。他方、ことを荒立てたくない大人しい人たちは、旧来の考え方を脱ぎ捨てよ、常に新しいものを追い求めよ、と詰め寄られても、腰が引けるのではないだろうか。

 今までそれなりに世の中が回っているのに、何が問題なの? 新しければ何でもいいのか、という反発を覚えるのは、私だけではないだろう。

 そうした穏やかな姿勢を見せると、イノベーション推進派からは小市民の保守的姿勢だと糾弾されそうだ。

 クレイトン・クリステンセン著『イノベーションのジレンマ』はイノベーションのバイブルになっている。これにも「破壊的」イノベーションという言葉があるじゃないか。破壊は恐れるものではなく、新生なのだよ、という声が現代では圧倒的だろう。

デカルトの功罪「疑え」

 ところでこうした「過去を否定する」ことを是とする考え方はいつ生まれたのだろうか。思うに、決定的な役割を果たしたのはデカルトだろう。哲学者デカルトは最初の著作『方法序説』で、2か条に要約できるとてもシンプルな方法を提案している。

1、すべての既成概念を疑い、否定せよ。
2、確かと思われる概念から思想を再構築せよ。

 この提案は、大変説得力があった。既存の概念を全部疑い、否定する。そして確からしい概念から思想を再構築する。そうすれば、誤りの含まれない、完璧に正しい思想を手に入れられるではないか!