前回に続いて「マスコミから忘れられた被災地」岩手県野田村を訪問した(4月2~8日)見聞を記す。
前回、市町村(=行政区分)別に死者や被災者の数をカウントして、被害の大きさを数値化しては「ニュースバリュー」に順位をつけるのがマスコミの悪い癖だという話を書いた。この論法に従えば、37人が死んで、400人が家を失った野田村ですら、気仙沼市や石巻市に比べれば「被害が軽い」ように錯覚してしまう。
しかし、そもそも「被災」を数値で計量化するなどという発想そのものが無神経なことなのだ。現地に行って土地の人とじっくり話してみれば分かる。当事者以外には想像もできないような「質」の被災がそこにはある。
前回、話を聞いた晴山茂美さん(60)を野田村に訪ねる前に、長男の茂樹さん(33)に話を聞いた。私のツイ友のこれまたツイッター仲間をたぐり寄せて紹介してもらった。茂樹さんも、住んでいた野田村の家を津波に破壊され、家財道具がすべて流されてしまったのだ。
3週間余りの間に起きた「天国と地獄」
4月3日の夜、野田村から75キロ離れた青森県八戸市で茂樹さんに会った。場所は総合病院のロビーである。野田村からは車で2時間かかる。妻の佳織さん(31)が3月30日に長男の心葵(しき)ちゃんを出産したばかりで、入院しているのだ。
節電で薄暗いロビーに座って、話をする。茂樹さんはひげにめがねの穏やかな人だった。
翌日の4日、佳織さんは退院するのだという。
初めての子どもが生まれた。父親になった。しかも長男。3700グラムの元気な赤ちゃん。若い父親にとって、ただでさえ緊張する人生の一大事だ。
しかし、茂樹さんには、妻と子どもを連れて帰る家がなくなってしまった。そして、父の茂美さんの家もなくなってしまった。
晴山親子はそろって設計事務所を経営している。しかし、電話回線が津波で切断され、メールはおろかファクスも使えない。自家用車も流されて、仕事も買い物もできない。