4月2日から7日まで、被災地の取材に行ってきた。羽田空港から青森県の三沢空港に飛行機で飛び、そこでレンタカーを借りて八戸市から太平洋岸を南下、岩手県に入った。海沿いを2時間走ると、今回取材した「九戸郡野田村」に入る。

 人口約4650人の小さな村である。サケの定置網漁とホタテやワカメの養殖、後はささやかな農業が主産業だ。

野田村

 この取材がなければ、私はこの村の存在を知ることもなかっただろう。旅行者が訪れる観光名所もない。赤い鳥居の鎮守を中心に人々が暮らす、穏やかで慎ましい村である。

 八戸市から国道45号線を南下するドライブ旅行なら、左手に広がる太平洋と浜がおりなす絶景に見とれているうちに、右手の田畑に点在する家や商店に気を留めることもなく、そのまま通り過ぎてしまうかもしれない。

 3月11日、そんな美しい北国の田園風景は失われてしまった。

 両側に田園と山林が続く中を20分ほど走っただろうか。村のゆるキャラ「鮭の子のんちゃん」の巨大な像を右手に過ぎたあたりから、風景がどこか異常なことに気がつく。両側の家が片っ端から壊れ、傾き、あるいは崩れて建材とゴミの山になっている。商店はどれも、1階が骸のようにぽっかりと空洞になっている。津波が押し寄せて1階を洗っていったのだ。

 これは一体何なんだ。海はどこにも見えない。なのに、得体の知れない海の漂着物の塊がうずたかく丘のようにたまっているのだ。

 もうしばらく走ると、ぱっと視界が開け、道路左手に海が見えた。その瞬間、私は息が止まるかと思った。

 右側は津波に洗われた赤茶けた土の平原が広がり、はるか向こうに建物の姿がかろうじて見える。家や商店の代わりに、漁船や車、家、流木など、津波が運んできたありとあらゆる漂着物が無秩序にぶちまけられ、押しつぶされ、へしゃげている。それが遠くの山の麓まで続いている。

 強い海風に土ぼこりが吹き上がり、村全体から茶色い煙が立ち上っている。ここに村があったと教えられなければ、巨大な産廃物捨て場にしか見えない。

目の前の光景に唖然、現実がうまく飲み込めない

 ハンドルを握りながら、私は唖然とするほかなかった。左手の海では、高さ10メートルを超えるコンクリート製の防潮堤が津波に割られて、流されてしまっている。人間より大きなテトラポッドが割れ、流され、散乱している。

 一体どんな巨大な力が、こんなことをしたのだ。目の前の現象を頭で理解しようとしても、あまりに破壊が巨大すぎて、現実がうまくのみ込めない。